2019年06月06日

ゼミ通ヒーローズ Vol.08 「杉山大地と敵という概念について語るの巻」

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ゼミ通ヒーローズ Vol.08

杉山大地と敵という概念について語るの巻


今回のゼミ通ヒーローズは、ゲームゼミが誇る摩訶不思議なモンスターキャラ、4年生の杉山大地さんをピックアップします。
小学2年生の頃より創り続けたモンスター図鑑や、3年生の時に制作したデジタルゲーム「魔界創生」で奇抜で独特の世界を生み続けています。

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自撮り@フランスのJAPAN EXPO会場


村上 まずキミは一体…どういう人なの?

杉山 息する間にも無数の変体、すぎゃんです。

村上 …。

杉山 …。

村上 え?

杉山 宜しくお願いします。

村上 はい、宜しくお願いします。すぎゃんって元々ゲームに興味があったの?

杉山 えーとゲームに興味があったというより、大学に入る前からゲームの制作はやってました。大学に入った動機は私のライフワークといえる「モンスター」の探求を追求できる環境に身を置きたいというのが大きかったです。

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小学2年生の頃から描き続け、今も尚増殖中のモンスター図鑑。


村上 てことは別にゲームが作りたいわけではなく、モンスターを描きたかった?

杉山 そうです。小学2年生の頃から描き続けてきたものがありまして、今でですね、1万1339体ですね。

村上 大学に入学したときに8000体だったっていう数字はよく覚えてるわ。でも、これだけたくさん描いてタッチが変わらないっていうのは…!?

杉山 あえて変えないようにしています。これは統一感というよりも、私が小学2年生で描き始めたときのことを「続行する」という意志で、その創作は始まった時既に完成していて、それがあるべき姿に彫刻され続けているということです。私はこのモンスターの創作を「モンスターデザイン」ではなくて「図鑑の創作」と考えているんです。で、モンスターはそもそも私が考える以前に既に存在していて、私はそれをあるべき姿に描き出しているだけである、そういう制作に対するスタンスで、探し出してそれを記録するという心で描いています。

村上 モンスターを探し出して、というのは、現実世界ですぎゃんにとって感じるモンスターを炙り出している、という意味?

杉山 現実世界と言ってしまって良いのか分からないのですが、最初にこの活動を始めたときから、それまでそうであるようにモンスターが自然に描き出されるプロセスの中で、何を参照しているのか、その、えーと、そのものに素直になる。

村上 ???

杉山 現実世界の、例えば「これがモンスターに感じるからこう描き出そう」ではなくて、もっと素直に頭の中に出てくるモンスターで、そこから変えないようにしようと、そんな感じです。

村上 てことは、定義としては「妖怪」ではないのね。

杉山 妖怪ではないです。もっと自然な動機で生み出されるモンスターです。

村上 自然な動機というのは?

杉山 これは「あそび」に繋がることなんです。モンスターを描くっていう人間の行為が自然な行ないだという直感があって、それがどのように自然かっていうことを追及するために動物行動学を勉強したんです。まず、モンスターって仮想敵といえるじゃないですか。仮想敵を作り出すということは動物にとって自然なことだといえるんです。例えば狩りをする動物を動物園に閉じ込めて、餌を与えて運動をさせていても健康な状態ではなくなってしまうそうです。そこで、エンリッチメントっていうんですけど、狩りとか縄張り争いのような行動の状態をあえて作り出す。例えば、複数の同種を檻に閉じ込めることによって動物が健康になるであるとか、あと、こういう話もあるんですね。ヒナから鳥のエサで育てたが、ある日部屋の隅に飛んでいって、そこに虫がいないのに獲って食べるという仕草をするんです。仕草だけして満足して帰ってくるというようなことがあるんです。だから、何か仮想の敵対を生み出して安心を得るっていう自然で素直な行動が動物にはあるんです。私のモンスター図鑑は、そういった自然で素直な動機から生み出される想像のもののコレクションということですね。

村上 食物連鎖みたいな、所謂「天敵」というものとは別のもの?

杉山 一部当てはまります。食物連鎖でいう天敵も恐怖を感じて行動を誘発するっていうものの一つです。あと縄張り争いで対峙する敵だとか、メスの取り合いで対峙する敵だとか、あとは単純に被食者が捕食する動物だとか、そういったものですね。私が考える敵というのはそういうものです。

村上 ここに描かれてるモンスターは、すぎゃんにとっての敵ということではない?

杉山 そういうことです。ですが、そのモンスターが生み出される人間の深層心理がモンスターを生み出しているのであって、それにおいて、私自ら敵対を生み出すっていう心を利用しているっていう感じですね。だからそのモンスターを敵に思うっていう心を発信源としてモンスターが生み出されていると。ですが、理性的には敵対をしているわけではないです。

村上 心のよりどころとしてのモンスターなのかなっていう気もするね。写経のような感じというか、悟りに向けて自分の中の何かを吐き出しているというような印象も受けるね。
じゃ、これが仮想である理由は?

杉山 動物図鑑を作っても、それは現実に存在するものなので数に限りがあります。もしかしたら仮想敵を生み出そうとしていた最初の段階、つまり小学2年生以前の状態では、ライオンを描いたりすることで満足していたので一定の効果があったのかも知れません。でもモンスターっていうのは数に限りがないのでいくらでも作れるわけですよ。それに、そういう敵対するものとしてゲームの中で組み込まれていたり、例えば昔私はポケモンだとかドラゴンクエストモンスターズだとかピクミンだとか、そういうものをやってたんですが、モンスターっていうのは基本的にそういうゲームの中では敵として存在するじゃないですか。そういうものを見てきた中で、「敵がほしい」って自分の中で思った時にモンスターを描き出すのもまた自然なことだったんです。

村上 ここでいう「ほしい」というのは、敵を作りたいということ?

杉山 そうですね。動物の感情にそういうものが自然に存在する。例えば、もっと簡単にすると、えーと、すごい怖い先生がいる。威嚇されると動物は威嚇し返したくなる。そこで先生を打倒してしまえば本当は解決するんですが、倫理的にそれはできない。なんせ先生ですから。となると、転移行動っていうんですけど、別のものに攻撃の方向を切り替えるんですよ。その攻撃の対象が所謂仮想敵であると。そういうものの延長であるというか、それが形を持ったものがモンスターともいえるんです。

村上 弱い人が何かに八つ当たりをする感覚なのかな。

杉山 誰しもそういうことってあると思います。色んな状況がありますから。ある行動を誘発されてもできないというときに行動が転移するので、何にでも起こり得ると思います。ケーキが食べたい、でも太ってしまう。だからストレスがたまる。で、そのストレスの発散方法はいくつでもある。そういうことですね。

村上 それがすぎゃんにとってはモンスターを生み出すことなんだ?

杉山 はい。そのおかげでここまで継続できたというのは極めて稀な例だと思います。

村上 精神を高めるためとか、安らぎを求めてるとか、そういう浄化作用みたいなものを求めてモンスターを描いてる感じだね。
ゲームの話に戻すけど、ゲームの中には敵キャラがたくさん存在するよね。ドラクエは倒す為に、ポケモンは捕まえるためにとか色々あって、いずれにしても主人公が前に進むときの障害物でしかないと思うのね。ゲームキャラとは所詮記号の塊だから。そんなゲームの中の敵というのはどう考える?

杉山 ゲームっていうのは、色々多様化されている中で、ユーザーを目的に向かって進ませていかないと遊びが成立しない。その成立させるための要素としてモンスターというのはあると思います。さっき言った通り、誰しも敵対するっていうことが人類にとって慢性的に不足してると思うんですよ。だから敵対を作ることで人間はゴールへ向かっていくわけです。

村上 例えば社会生活の中で、「共通の敵を作ると結束が固まる」っていう場面もあるけど、それはどう捉える?

杉山 コンラート・ローレンツという動物行動学者の著作である「攻撃・悪の自然誌」っていう本があってですね、その中にそういうことが書いてありました。縄張り争いがあって関係性がギスギスする。これは人間でも何でもいいです。で、その関係ってある所で止まるんですよ。AがBを追いかけるとBは逃げるじゃないですか。そのときAは自分の縄張りから遠ざかっていって、Bは自分の縄張りに入るわけです。するとAの勇気が段々なくなっていってBの方が強くなる。そしてBが勇気を持ってAを追いかけると、今度はその逆が起こるんです。その結果縄張りというものがあるスペースを確保して落ち着くんです。そこに別の敵Cが入ってくると、AとBが協力するんです。それが学習されて仲間になる。で、人間社会において共通の敵を作ると仲良くなるというのにも、これが当てはまってると思います。

村上 少年ジャンプの中の王道ストーリーで、「魁!男塾」とか「ドラゴンボール」で敵が登場すると、当然戦うよね。それが終わるとまた別の敵が出現する。その時にさっきまで戦ってた相手が味方になって力を合わせて新しい敵をやっつける。この繰り返しで雪だるま式にチームが巨大化して最大の敵に挑むっていうのが、動物行動学的に言えば理にかなってるってことだね。

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精神統一中…


杉山 そうですね。それが色んなスケールで起こってると思います。例えば人間みたいに先のことを予測できる想像力のある動物だと、互いにパーソナルスペースを狭くした場合、物理的な接近点というものはあっても、心理的もしくは法的に守られているスペースが別に存在する。目には見えないけれど、潜在的な心の距離は、ちゃんとさっきのAとBの関係のように存在しています。それが物理的・直接的な縄張り間での関係というのが大きなスケールだとすると、その心理的なものはもっと小さなスケールといえます。些細な切っ掛けで友達になるっていうケースもありますね。大きなプロジェクトを成し遂げたとかではなくて、子供が「ちょっと気が合う」みたいなところで共通の認識を持つ。同じメーカーの鉛筆を持ってるとか、それが心理的に小さなABの関係を作る。そういうことがすごく反射的に、感じられもせずに起こっているんです。

村上 小学生のときに、いじめっこが突然優しくなったりすることがあるけど、これもさっき言った、理由も分からないような些細な共通項を見つけたから起こる現象なのかな。

杉山 さっきの鉛筆の話は、同族嫌悪ですね。意識して嫌悪なんてしてないと思いますけど、反射的に、そして感じられずにある同族嫌悪かもしれません。それが、感じられないほど小さな縄張り争いとして勃発して、そこにまた仮想の敵も出てきて仲良くなるっていう、仮想のプロセスが人間にはできると思うんです。いや、できてるんだと思います。そういう、本人たちにとっても意味不明なプロセスによって、いじめっこの心境が急に変わったり、そういうことが往々としてある。不思議な生き物ですね、人間って、ふふ(微笑)。

村上 日本の教育ってそれを求めてきたよね。皆同じ。皆で足並みを揃えましょう。同じスーツを着て同じ髪型で就活をする。外国人からは気持ち悪がられるけど。これは同族嫌悪ではなくて安心を生んでるようにも感じるね。

杉山 安心の要素はすごくあると思いますね。それによる抑圧の側面もあります。色んな人がいて、色んなことが出来て、色んなことができない人がいる。で、色んな条件があるんですよ、発散の条件が。それに社会から保証される抑圧と解放の仕組みが沿わない人っていうのが出てくる。最初から社会に反抗しようとする人はいないわけで。逆にそれに沿う人は安心すると思いますね。数の力は強大ですから。

村上 カテゴリーに収まりたがる傾向があるよね。何か病名をつけてほしくて医者に行って、それによって安心を得たり。

杉山 社会性のある動物として進化してきて、ここまで発展してきたという過程があるので、それは当然だと思いますね。就活のときに皆同じ服で同じ髪型で、というのは、「社会に出なければいけない」から出る人と、「社会に出たい」から出る人に分かれると思うんですけど、まあ、出たい人は出ればいいから置いといて、前者の場合は強制される感覚があるから「就活」そのものや、それが強制するイメージを敵視する層というのが、足並み揃うことに安心する層の反対に結果的に存在することも必然のように感じますね。

村上 すぎゃんにとってゲームの中の「敵」っていうのはどういう存在?

杉山 アクションでもRPGでも、やられるための障害物としての存在っていう位置づけの敵を倒すことによって心理的な解放があって、プレイヤーが自ら話を進ませていきます。それはすごくシンプルな構造ですよね。敵っていうと、怪物だとかゾンビだとか、プレイヤーに危害を与えてくるっていう見た目を想像しますが、私は、最初に話したかもしれないですけど、「あそび」そのものと「モンスター」が実は同じ定義であると考えています。あそびって言い方を変えればモンスターだし、逆もまた然り。モンスターは仮想敵で、それは色んなスケールで存在するっていう話もしましたけども、ゾンビとかっていうのはかなり大きなスケールで分かりやすくしてあります。さっき鉛筆を例に、気付かないくらいの小さな敵対っていうのがあったように、そういうものがゲームの中に、例えば落とし穴や単に壁といった障害として存在しています。更に言えばデザインそのものも。色彩やUIとかも、「なんでこの形が正しいのか」ってあまり理論的には話されないじゃないですか。黄金比がどうして美しいのか、とか、感覚では話されますけど。私はそこにも敵対というものが潜んでると思うんです。

村上 例えば?

杉山 黄金比ってフィボナッチ数列であり、自然の存在です。やっぱり自然のものが刺激としてそれまで人類以前ずっと身の回りにあったわけですよ。で、色んなものに関係を持ってきたと思うんですよね。その中にはもちろん敵対があると思うし、それが蓄積された結果、黄金比っていうもの自体にある一定の刺激を得るようにDNAにプログラムされている、結果的に。それが敵対の解放を交えているんです。

村上 敵対の解放を交えている???

杉山 そうです。黄金比そのものがDNAに組み込まれて、感じられないかもしれませんが、黄金比でできているものを見た瞬間に何らかの解放を得るんです。

村上 生理的に美しいと感じるっていうのもあるけど、それそのものが解放を表してる?

杉山 そうです。「美しい」っていうものも謎ですけど、何かしらの原理で美しいというものがありますよね。

村上 美しいっていう言葉自体が主観だからね。定義のしようがない。

杉山 でも答えはあるじゃないですか。美しさの理由というのは。自然から生まれたものだという履歴があると思いますし。だから逆算的に敵対の解放ともいえます。これがすごく自然な動物の安心とか喜びのプロセスだから、それに関係するという考え方をすることが自然だと、私は個人的に考えています。
で、UIとか色彩においても同じで、この美しい色彩というのが敵対を含めていると。で、その刺激の割合、抑圧の解放をもたらすプロセスもそれ自体があそびでありモンスターであると考えています。

村上 ゲーム自体が障害物だらけで構成されていて、解放に向かって進んでいくものであって、障害が大きければ大きいほど楽しくなる。解放のために敵を好んでいくっていう心理的作用があるよね。

杉山 そうですね。私たち動物にとって攻撃は元来健全なものであると考えます。だからゲームっていうのは、動物、特に人間にとっては必要なものと考えます。

村上 勉強に置き換えると、問題文そのものが敵であって、解いた先にある称賛であったり承認であったりっていうフィードバックが解放にあたるということね。

杉山 もっというと、敵対自体が解放である、ていう考え方もできると思います。その問題に答えなくてはならないという状況に突き当たる刺激自体が、実は嬉しいことみたいな。で、勿論それを打破することも別の解放であると。

村上 現実世界だったら、問題を解決することによってそれが経験値になって、もっと難しい問題に挑戦したくなったり自分の中の向上心を刺激するだろうし、これがゲームだったら単純に与えられた次のステージで遊べるようになるという付加価値がついてくる。敵を倒すということ自体が成長につながるというところがまず単純に大きい。次は「なんで人は成長したがるんだろうか」っていう問題につながっていくんだろうけど。解放の先にあるものが何なのか、ていうね。

杉山 成長というのは、私の考えとしては結果的なものだと思います。無心に敵対を解放することで結果的に成長したという記憶があったら、それを学習して成長が目的になるんだと思います。でも、敵対を目的にするっていうことはできないと思うんですよ。倫理的な観点からいくと。禁止されてますよね、危ないですから。でもこれが人間をゲームに至らしめたものの一つだと考えます。

村上 抑圧されたから仮想のものに移ったっていう最初の話ね。

杉山 そうです。敵対自体を目的にできないんです。だから、成長を目的にして敵対する。

村上 でもゲームの中でいうと、ジャンルは違えど「敵が出てきてやっつける」という行為自体に喜びを感じてるだけで、成長したいから敵と戦うっていう気持ちの人って実は少ないと思う。Aボタンを押したら剣を振りました。すると敵は倒れました。この時の効果音やエフェクトやUIデザインなんかが複合的に演出されて喜びを増幅させるのであって、これがプレイヤーにとっての小目的になる。それが蓄積されて次のステージへ行きたいという中目的が表れて、この小と中の快感のサイクルが最終的にゲームクリアという大目的へ向かっていく。
プレイヤーはこのサイクルを楽しんでるわけであって大目的へ行くことは意識してない。結果的には行ってしまうけどね。だからどちらが目的かというよりも、ゲーム的な発想からいうと、敵対と解放のサイクルそのものを人は楽しんでるともいえるんじゃないかな。
勉強でも小テストの先に中間テストや期末テストがあるのであって、最初から期末テストを目的に頑張る子供なんていないわけで。日々の学びを楽しんだ結果として期末テストを迎える。

杉山 そのサイクルの仕組みが理解出来たら子供にとっても勉強が楽しくなるんでしょうけどね。人間個人個人がもってる条件に勉強っていうものが提示する抑圧と解放のサイクルが当てはまった人っていうのが「勉強のできる人」になるんだと思います。公式を覚えたとか年号をたくさん暗記したとか、そういうことではなく。

〜インタビューの終わりに際してメッセージ〜

杉山 あと、子供の頃から禁止されてきましたけど、敵対を観察してみて、敵対自体を目的にするっていうことを心の中で少しやってみたら幸せになれるかもしれません。敵対をネガティブに捉えるのではなく、攻撃は元来健全なものであるっていうことです。そして抑圧は楽しみを生む条件であるともいえます。
抑圧もゲームのいち要素。ゲーム以前の抑圧もまたゲーム要素だと思います。つまり、人にストレスを与える要素や自身の限界などです。これが切っ掛けで解放の方法を考えた結果ゲームというものが生まれたとも考えられますね。と考えると抑圧というものはとても尊いものであるといえます。悲劇ですね、ふふ(微笑)。

村上 なるほど。抑圧というネガティブな響きを含むものも、こうして視点を変えてゲーム的発想に置き換えることでポジティブに捉えられるね。
「ゲームだから敵が出てきて当たり前」とかそういう考え方ではなくて、なんでそいつがいるのか、とか、それによって何を感じるのか、ということを考えて日々生きると色んなものが面白く見えてくるんじゃないかな。それによって現実世界っていうゲームがより魅力的で楽しいものになると思う。
というわけで、今回は「敵」というテーマで話をしてみました。同じテーマでも違う人と話すとまた全く違う展開が楽しめそうなお題でした。ありがとうございました。

杉山 はい、今日はありがとうございました。

posted by ムラカミ at 01:02| ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする