2019年06月06日

ゼミ通ヒーローズVol.07 「五十嵐智哉とアクションゲームにおける自己表現について語るの巻」

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ゼミ通ヒーローズ Vol.07
五十嵐智哉とアクションゲームにおける自己表現について語るの巻


今回のゼミ通ヒーローズは村上ゼミ4年生の五十嵐智哉さんをピックアップ。
インディーズゲーム全盛期のこの時代に、学生でありながらハイエンドなメジャー路線のゲームを作り続ける彼の創作の神髄について触れていきます。
たまにはマニアックな話をしても良いかと思って専門用語満載のオタク談義になっているので、よほどゲームや映像に興味がない人は別に読まなくてもいいです(笑)!

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ハッカソンの現場でゲームのプログラミングを行なう五十嵐さん。


村上 今回はちょっとマニアックなゲームの話を掘り下げてみようと思ってるんだけど、まず五十嵐の一番好きなゲームって何?

五十嵐 「聖剣伝説」とか「スターオーシャン」「テイルズ」シリーズみたいな、アクション要素の入ったRPG(ロール・プレイング・ゲーム)が好みです。もちろんストーリーも好きなんですけど、それ以上にそのゲームの世界に入り浸れる時間が好きで。RPGって、装備を買い集めたりして拠点にずっと留まることもできるじゃないですか。でもアクションゲームって次から次へと通り過ぎていくので、やっぱり自分のリズムで自由に遊べるものが好きなんだと思いますね。

村上 最近はその辺の要素が融合してるゲームが多いよね。「スーパーマリオ・オデッセイ」だと、アクションゲームでありながら、まず拠点があって世界各地を旅してスターを持ち帰って拠点をカスタマイズするとか。

五十嵐 リソースを管理して自分のオリジナリティを出すっていう所に魅力を感じてた気もしますね。そもそもアクションRPGが好きな理由が、プレイヤーによって遊びの表現幅が変わるというところなんです。RPGでも装備品やステータスの振り分けによってキャラクターを自由に変えられるので人によって遊び方が変わりますけど。この表現の幅を、RPGとアクションを組み合わせると更に大きな幅になるなと思って。

村上 表現幅というと、ゲームを能動的にする要素として「自己表現」というのがあるよね。例えば「ストリートファイター」みたいな格闘ゲームで遊んでるときに、小パンチを連打して勝つという方法もあるけど、やっぱりケンを使うなら昇龍拳でフィニッシュを決めたい。別にそうしろと命令されてるわけでもないんだけど必殺技で敵を倒したいっていうユーザーストーリーがあるよね。

五十嵐 実際に自分もそういう体験があります。「エルソード」というネットゲームがあって、その中に「カウンター」っていう技があるんですよ。これは使うのが物凄く難しくて、誰も使ってないようなものだったんですけど、うまく使えるとかなりカッコ良かったんですね。ネットゲームなので主人公のエルスっていうキャラクターはたくさんいるんですけど、カウンターを使うエルスは誰もいないんです。その中で僕はカウンターを使いまくって、その動画を配信したらそれが物凄く伸びて、チャンネル登録者数も増えたという時期があったんですけど、そういったこともあって「自己表現」ができるってことがゲームで遊ぶ上でも作る上でもとても大事だと思ってます。

村上 アクションってビジュアル的にも特に分かりやすいもんね。

五十嵐 プレイスタイルも分かるし、何ならプレイヤーの性格まで見えてきますからね。

村上 アクションゲームって同時多発的に色んなことが起こるから、皆が同じプレイの仕方をしていてもバタフライ効果でどこかで差が生まれてくるし、ただでさえその違いを見るだけでも面白いのに、一人の敵に対しても何通りもの倒し方が設計されてて、特にオープンワールドのゲームなんかだとその違いを見つけるのが醍醐味みたいになってるよね。
君はそんなアクションゲームを実際に作ってるわけだけど、今度は作り手としての話を聞いていこうかな。

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イラストバトルイベント「MINUTE」の企画会議中の五十嵐さん(左)。


五十嵐 去年はUNITYを使って「ロプテトラント」というゲームを作りました。

村上 3Dのアクションゲームだったね。UNITYは大学の授業で習得した?

五十嵐 授業で習うのは2Dのみだったんですけど、今回どうしても3Dのアクションゲームが作りたかったので、3Dの処理に関しては独学で覚えました。これに伴って、3dsMax(3DCGを制作するツール)も今回の為に覚えました。CG制作の授業を履修してなかったので、結局これも独学で。

村上 なんでそんな面倒なことしようと思ったの?(笑)

五十嵐 ただ単に誰もやってないことをやりたかったんです。さっきも出た「自己表現」の一つですね。ゲームゼミの中で、3Dのゲームでしかもアクションゲームなんて面倒臭いものをなんで作るんだ!?て周りの人に言わせたかったんです。

村上 ストイックやな…。承認欲求が強い?

五十嵐 強いと思うんですけど…でもそれ以前に天邪鬼なところが大きいんだと思います。「無理だ」って言われるとやりたくなりますね。そこが創作の面白さかな、と考えてますし、面白いことをすると人も喜んでくれるんですよね。

村上 なるほど。では、そのゲームの内容を教えてくれる?

五十嵐 これは3Dアクションゲームなんですけど、やっぱり「エルソード」のカウンターが自分のルーツの一つにあるので、これくらい難しいんだけど挑戦したくなる技を組み込むというのをやりました。最近でいうと「ニーア・オートマタ」みたいにジャストで回避すると派手な演出があるとか、そういう要素を入れました。昔のゲームにはそういうのってなかったと思うんです。

村上 回避とかガードといった動作を使って更にゲームを面白くするのって、今では主流になってるね。

五十嵐 はい。私が知る限り最初に出たのは「ファンタシースター」の中にある「ジャスト攻撃」ではないかと思っています。逆に「ジャスト回避」の最初は恐らく「ベヨネッタ」ではないかと思うんですけど…どうでしょうか。でもその辺りからアクションゲームの中では爆発的に流行った気がします。それまでも「回避」はあるにはあったんですけど、どのタイミングで回避しても演出が同じでしたしね。

村上 アクションゲームというと「攻撃」に重きを置く傾向があってプレイヤーもそこにしか注目しなかったけど、「回避」っていうつまらない動作に別の要素を入れて更に面白くするっていう発想だよね。

五十嵐 これって実は最近ではなく「インベーダー」の頃からあったんじゃないかと思います。あのゲームは敵がどんどんプレイヤー側に迫ってきて危ない状況になっていくじゃないですか。でもある一定の場所まで下りてくると逆に無敵ゾーンみたいなものが出来るらしいんですよ。そういうリスクが極限まで高まると最高のリターンが得られるっていう仕組み自体がこの頃からあったんじゃないかと思います。

村上 なるほどね。当時の話だから、意図して組み込まれた仕様なのか単なるバグなのか、そこは定かではないね。昨今のゲームだと、極限まで行くと最大のリターンが、ていうのはどれも当たり前のように入ってるね。

五十嵐 実は「ロプテトラント」には「回避」と「カウンター」の両方が盛り込まれてるんです。「回避」の方が使いやすくて、いつでも発動できるものなんですけど、これを今までだと「ジャスト回避」にすることでバランスをとっていたんですね。でも表現の幅という意味でいうと、少し練習したら結局みんなできるようになってしまうんですよ。で、ここから更に表現の幅を生み出すなら、更に難しい仕掛けを用意してやろうかなと思って「カウンター」を入れました。

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五十嵐さんの作品「ロプテトラント」


村上 今だと超大作化がどんどん進んでいて、アクションの中にもそれなりのオマケがないといけない。最近だと分かりやすいのは「FINAL FANTASY XV」。戦闘システムにはかなり複雑な要素がこれでもかと盛り込まれてるんだけど、やりようによっては、ただただ闇雲に斬るだけでも頑張れば勝てる。さっきのストリートファイターで小パンチ連打で勝つような感じだね。でもそれじゃ気持ち良くないしつまらないからジャストで何かをするとか、それに伴ってリターンも大きくなるという付加価値が積み重なっていって、うまくなればなるほど遊びがどんどん深まって面白くなっていく。初心者もコアなゲーマーも皆が平等に楽しめるように表現の幅が盛り込まれてる。

五十嵐 プレイヤーが付加価値を作るって言いましたけど、プレイヤーがクリエイティブなことができるっていう点がすごく面白いなと思います。現実社会だと、みんな何かを表現したくてもそれができない環境にあるような気がしたんです。そういった社会に抑圧されたものを表に出していいんじゃないかと常に思ってるので、能動的な何かを仕掛けるというのはいつも考えてます。ゲームにはそういうアンチテーゼとか風刺の要素ってどこかに入ってると思いますね。

村上 ゲームの形にする時点で何らかの風刺やメッセージは含まれると思う。何かを訴えたいからモノを創るわけで。

五十嵐 特にゲームって「見る」だけじゃなくて「体験」して初めて伝わるものだから、制作者の意図はダイレクトに伝わりやすいですよね。

村上 テーマ性以前に、特にアクションゲームを作る時って、間とかリズムの調整が物凄く大事で、これがゲームの面白さを左右する全ての要素だと言ってもいい。

五十嵐 そこは重要視しますね。学生作品にありがちな「攻撃しても何の隙も生まれない」とか「いつの間にか敵を倒してた」「理由はわからないけどゲームオーバーになってた」というようなザツなゲームにはしたくなくて。

村上 そういうのって、単純作業であってゲームじゃないもんね。

五十嵐 はい。単にボタンを押してるだけですからね。間とリズムを考えることによって初めて体験というものが生まれてくるので、これは本当に重要ですね。実際にその調整にはかなりの時間を費やしました。

村上 どうやって調整した?

五十嵐 まずは自分の感覚を信じてっていうこともありますけど、「回避」っていうアクションに対してはこれくらいの隙が必要だとか、カウンターに対してはこれくらいの見返りが必要だとか、これは自分の経験則によるものなんですけど、リスクとリターンの釣り合いをとるように意識しましたね。

村上 レベルデザインはどうしてる?

五十嵐 えーと、結構コアな話しちゃっていいですか?(笑)

村上 もちろん。今回オタク枠だから(枠)。

五十嵐 今回は、攻撃して仰け反る敵と仰け反らない敵の二種類を用意しました。なぜかというと、まず仰け反る敵が相手だと攻撃ボタンを押せば絶対に勝てるんですよ。相手は延々仰け反るわけですから。でもそこで敵の数を増やすことによって、他の敵も攻撃を仕掛けてくるから必然的にそれを避ける「間」が生まれるんです。攻撃の隙があるので。まずここで敵の数を調整しました。逆に一人だけ仰け反らない敵がいるとしたら、プレイヤーはこの敵に振り回され続けることになるので、他の敵が仰け反る敵でもアクションとして活きてくるわけですよ。こういったことを何度もシミュレーションしながらレベルデザインを調整していきました。あとはその敵の配置ですね。

村上 これは半年で作った体験版だったので敵は二種類だけだったけど、もし製品としてリリースされるのであれば、敵は何十種類と出てきて、飛び道具を撃ってくるやつがいたり、通常の武器では倒せないやつがいたり、そこでもまたレベルデザインは変わってくるよね。

五十嵐 もちろん、そうなりますね。

村上 改めてスーパーマリオなんかを見てると、本当に上手く作ってるなって思うよね。こいつは踏める敵で、次にカメ。カメは甲羅が固いから踏むだけではダメ。ここらで遊び方や敵の特性を学習して、慣れてきたころに羽の生えたカメが出てきたりね。飛んで敵を踏むのが楽しいゲームなんだと思わせておいて、今度はトゲが生えてて踏むことが許されないやつが登場する。一旦慣れたアクションに対してその逆をいく敵がどんどん出てくる。このレベルデザインが秀逸すぎて、もう30年以上も前のゲームなのに、全ての面白さがここで完結してしまってるような感じがする。

五十嵐 ストーリーや世界観を考えるよりも、レベルデザインを考えてる時が一番楽しいですね。そのアクションを通してプレイヤーにどんな驚きを提供するかが決まってくるわけですから。私が常に拘っている「プレイヤーは表現者であってほしい」が中心にあるので、レベルデザインを考えることは必然なのかなと思いますね。ただ、王道路線のゲームにプレイヤーが慣れてしまったので、あえて逆に従来のレベルデザインの常識を覆す「UNDERTALE」なんていうインディーズゲームも出てきましたね。ゲームそのものを皮肉交じりにメタ的に表現したタイトルなんですけど。ボスキャラが、バトル開始と同時に一番強い技をバンバン放ってきたりするんです。その時のセリフが「なぜ誰も最初に一番強い技を使わないのか疑問だ」ていうのがあって、そこに踏み込んできたってことは他のクリエーターも王道ゲームに飽きを感じてたのかも知れないですね。

村上 ゲームのアイデアが枯渇してきてるから視点を変えてメタ的な表現も含めていかにプレイヤーを裏切るかが問われてきてるね。そんな状況下でできることって何?てなった時に、「風ノ旅ビト」や「GRIS」みたいなアーティスティックなインディーズタイトルが流行ってくるんだと思う。

五十嵐 今のインディーズ人気はすごいですよね。ゲーム人口も増えましたしね。

村上 UNITYが基本無料ということもあって、ゲーム開発に対する間口が一気に広がったっていうのも大きいね。イラストの世界にSAIやClipStudioが登場したことでデジタル作画の敷居が下がってイラストレーター人口が増えたのも同じで。
制作費100億円を投じてメジャーのAAAタイトルを作るのは個人作家には無理ってことで、低予算で独自性の高い演出が可能なインディーズに流れていくんだと思う。でもそんな中で五十嵐は更にその裏をかいて学生でありながらメジャー志向のゲームを作ったね。真正面から斬り込んできた印象があるね。

五十嵐 はい、まさに私の天邪鬼の一面によるもので、意図的にそうしてます。

村上 今度は、アクションゲームを作る上で外せないのがエフェクト(特殊効果)ね。実際に現場で作っててもかなり楽しい作業の一つなんだけど、学生のうちってゲーム用のエフェクトを作る授業がないからこの面白さが分かる人が少ないのが残念。

五十嵐 今回はマテリアルとシェーダーを買ってきて、それらを組み合わせてパラメータを調整して独自のエフェクトを作りました。

村上 ゲームの中でエフェクトがもたらす効果ってどんなものがあると思う?

五十嵐 ゲームの良いところって、コンシューマゲームでいうとコントローラーがあるところ。その時に、今回私が作ったゲームだと回避のアクションがあるんですけど、画面効果が「スロー」と「エフェクト」を合わせた時だけ手応えが変わるんですよね。攻撃をヒットさせたときに弾けるエフェクトがあるから快感が得られるし、カウンターの時にも弾く快感が得られるし。そこから追撃した際の打撃感とか、単純にアクションが派手に見える上にプレイヤーが強くなったように感じられます。

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「ロプテトラント」では様々なエフェクトを駆使して、ゲームの爽快感や達成感を表現した。

村上 そういうものって現実世界には存在しないし、実写映画でも格闘シーンでエフェクトなんか出てこない。鉄製の武器が重なった時に火花が散ったり殴られた顔のアップで汗が飛び散ったりっていうのはあるけど。ゲームの場合はあり得ないような魔法効果とか自然現象までもがリアルに感じられるよね。

五十嵐 不思議ですよね、その感覚。でも子供の頃ってよくやりますよね。格闘の真似事をしていて、殴るとき「ビシッ!」て声出したり。何か見えないものが見えてるんじゃないかって思いますよね。

村上 イメージの補完を楽しんでるんだろうね。おっさんたちは「ドット絵のゲームの方が面白いと感じてた」とノスタルジーに浸るけど、情報が少ないから自分の想像で補完して勝手に面白いと思い込む。その前に日本は漫画文化だから記号化されたものを自然に受け入れるのかも知れないね。

五十嵐 ダメージマークを記号として見てたりしますよね。どんよりした時には顔に縦線が入ったり。海外のゲームだと、エフェクトはある程度ありますけどフォトリアルな方向なので日本のゲームほど派手じゃないですよね。人を殴ってもエフェクトなんか出ないですし。水たまりの上を歩いた時に波紋が広がったりしますけど、あれも状況描写をリアルに表現するためのものであってイメージ補完の目的ではないですね。

村上 日本のゲームってデフォルメされたキャラクターが多いから、派手なものは派手に、ていう記号の集合体なんだね。この間Switchのスマブラ(大乱闘スマッシュブラザーズ)をやったけど、エフェクトが派手すぎて自分がどこにいるか分からず全くついていけなかった。これが分かる若いプレイヤーってすごいなって思ったね…。

五十嵐 あれは正直やりすぎだと思います(笑)。

村上 あとアクションゲームを語る上で重要なのが描画フレーム。映像系の人だと24フレームとか29.97フレームの映像に馴染みがあるけど、ゲームって基本が60fps(1秒間に60枚の絵を再生しているという意味)。

五十嵐 ハイエンド系だと30フレームが主流になってますけど、これは映画のルックに近づける目的ですね。

村上 まあ、ポリゴンを使ったゲームだから30フレームで成立してるだけで、2Dゲームなら60じゃないと動きがガックガクになって単なる処理落ちにしか見えない。昔「バーチャファイター」の1作目が30フレームで登場して、この時でも結構なインパクトがあったのに、2作目が60フレームになって、あの滑らかな動きを見たときの衝撃と興奮は今でも忘れられない。でもPlayStation3が出てまた30フレームに戻って、より映画的な動きにしていく方向になったけど、解像度が上がってビジュアルも緻密でフォトリアルになった分、さほど違和感もなく受け入れられたね。

五十嵐 フレームレートを落としてもじゅうぶん綺麗に見えますからね。モーションブラー(映像の残像処理)をかけてより実写映像的に見せるものも増えてきましたし。60フレームだと元が滑らか過ぎてブラーの効果があまり出ないんですよね。

村上 PlayStation2くらいのハードスペックというか描画ポリゴン数だと60フレームにした方が見栄えがするね。

五十嵐 PlayStation4の緻密さで60フレーム描画されたら画面酔いしそうですね。メインストリームとしてはそこは反比例していってる感じがします。でもアクションゲームとしてレスポンスを重視しようとしたら60フレームの方が良いわけですよね。ゲームにもよりますけど。で、そこが30に戻ってるってことは、「見せる」ことを重視していて「遊ぶ」ことから離れていってるともいえるわけですよね。

村上 さすがに「ストリートファイターV」みたいな格闘ゲームは60フレームを維持してるね。60分の1秒の間合いで技を出し合うわけだから。フレームレートが落ちた時点でゲーム性が損なわれてしまう。

五十嵐 フレームの話とはまた変わるんですけど、3Dゲームを初めて作るときって、ジャンプの処理で苦戦しますね。2DのXY軸に加えてZ軸が増えるので、物理演算を考えるとその処理も複雑になっていくんですよね。2Dの頃は簡単だったんですけど、3D対応に慣れていないと変な方向に物凄く高くジャンプしてしまったりとか、制御が面倒臭いんですよね。ゲームデザイナーとしては、ここを辛抱強く乗り越えられるかどうかが問われてきますね。アセットを作ることがまず大変なので、よほど好きじゃないとキツいです。

村上 でも五十嵐はそれを独学だけでやってのけたわけで。

五十嵐 周りを見ていて「3Dアクションって難しいから頓挫しそうだよね」ていう雰囲気とか、「学生だからこれぐらい」という無意識の抑圧があって、勝手に天井を作ってる気がしたので、まずそれをブチ破りたかったんですよね。後輩たちもこれを見たら「なんだ、できるんだ」って思ってくれると思ったんです。これに挑戦してくれたらゲームゼミのポリシーである「必ず先輩を越える」っていう目標が明確になるかなと。単純に希望が持てますよね。

村上 ゲームを面白くする要素に「達成可能な目標設定」とか「アンロック」があって、要は「今はここまでしか進めません。でもあることを習得すると鍵が開いて次へ進めます」ていうのがあるけど、まさにそれを後輩に示してくれてるわけね。

五十嵐 はい、そこは意識して頑張ってみました。実際ゲーム作りって、それそのものが一番楽しいゲームだと思ってます。

村上 前回のゼミ通ヒーローズでも門瀬がハッカソンについて全く同じこと言ってたな(笑)。

五十嵐 まぁ、それ言い出したらこの世界にあるものは全部ゲームですけどね。

村上 人生がゲームだからね。文字通り死んだらゲームオーバーになるけど。でもゲームにはGOOD ENDとBAD ENDがあって、ゲームっていう作られたハコの中だとBAD ENDは本当にBAD。ゲームオーバー画面が出てタイトル画面へ遷移するだけ。だけど人生の中でBAD ENDを迎えた時って、視点を変えるとそれは起死回生のチャンスだったり、悔しさをバネにしてもっと努力しようとしたり。だから人生にはBAD ENDって存在しないと思ってる。見方を変えると全てがゲームになって、このあそびの力で社会をどこまで面白くできるかっていうのが大きな課題だと思う。アクションゲームを作ってる人って、そのことを意識はしていなくても自然に理解できてると思うんだよね。

五十嵐 人生はゲームなんですけど、一つだけ間違いなく言えることは、「面白い」と「命」は等価値だってことですね。面白いを生み出すことは命を生み出すのと同じくらい大事なことだし。人生を楽しめるってことは生きる理由そのものだと思うんですよね。ゲームのいいところって結果が分からないところ。結果のあるものを作っても仕方がないからゲームを作るんだっていう気持ちがあります。

村上 まさにプレイヤーを表現者にするゲームね。じゃあ、表現者にさせるためのゲームデザインとは?

五十嵐 挑戦したくなる仕組みがあるってことですかね。

村上 じゃあ、挑戦したくなる仕組みとは?

五十嵐 無駄を愛せるかどうかですね。合理性ありきじゃなくて、人の生き方もそんなところがあって、無駄なく最短ルートで効率良く生きて、果たしてそれは面白い人生なのかって思うわけですよ。紆余曲折全部ひっくるめて、合理的な観点からいえばそれらはすべて無駄なものになるわけですけど、でもそれを愛してるから人生が面白いんだと思うんですよ。

村上 自分も昔から「遠回りこそ最大の近道だ」って思ってるから、それはよく分かる。回り道すればするほどネタが蓄積されて、それが集まって次の作品作りに活かされるわけで。人生で起こることは全てネタなので無駄に見えて無駄なものは何一つない。

五十嵐 ていうかゲームそのものが本来無駄なものなので(笑)。

村上 その無駄なものを止められなくなるくらい楽しいと感じてプレイヤーを長時間拘束するってすごいエネルギーを要する仕事だよね。

五十嵐 「ロプテトラント」だと「カウンター」がまさにそれに当たる部分なんですよね。ぶっちゃけ「回避」だけでもゲームとしては成立しますから。でも、自分を表現する自己承認のためにもあえてカウンターを使うっていう精神が無駄を愛するゲームデザインってことになるんだと思います。

村上 ゲームはなぜ夢中になるかっていうと、見返りがないから。無償の愛に対して夢中になれる。

五十嵐 歴史学者のホイジンガが提唱したホモ・ルーデンスの中で遊びの概念として同じこと言ってましたね。

村上 そうそう。報酬がもらえるよりも精神を満たすっていうことが生きる上で優遇されてるよね。だから人はゲームに夢中になる。

五十嵐 大昔ですけど、フリードリヒ2世が、何の言葉も与えないで育てた子供はどんな言葉を発するのか、ていう実験をしたらしいんですよ。一切会話もしないし愛も与えない。ていうやり方で赤ん坊50人を一斉に実験に使ったんです。すると、ちゃんと栄養を与えてるのに赤ん坊が全員死んだらしいんです。これって結局「面白くない」から死んだんじゃないかって考えたんですけど、どうなんでしょうね。さっき「生きる=面白い」って言いましたけど、「愛=面白い」とも考えられるかなと。

村上 ゲームって、ジャンルによって様々だけど、何らかの欲求を満たすものでしょ。衣食住みたいに物理的に必要なものじゃなくて、精神を満たすものがないと人って崩壊するんだと思う。

五十嵐 無音室に監禁された人間が発狂するみたいな感じですね。

村上 大人になるとそれまで生きてきたノウハウから、精神を満たす何らかの方法を考えるけど、赤ん坊って泣く以外に発散できないから、自己表現としての死なのかなっていう気もするね。愛なくしては生きられないっていう。

五十嵐 ゲームでいうところの愛は「面白さ」。そう考えると、人は無駄を愛するっていうのも頷けるんですよね。

村上 要するに無駄じゃないってことだね。

五十嵐 社会にとっては無駄だけど、人としては必要なもの、ていうことですよね。

村上 ゲームっていう響きが生む誤解もあるんだろうね。勉強以上に夢中になっちゃうから教育者から敵視されて当然だし。それでもアクションゲームを作ってる人がゲーミフィケーションを本気で考えたらすごい事が起きるんじゃないかって思うね。60フレームの間で同時多発的に色んなことが起きて、そこまで計算してプレイヤーの感情曲線をデザインするアクションゲームのデザイナーだったら、世の中で起こるありとあらゆる問題に立ち向かうだけの力を発揮できるんじゃないかと思うんだよね。

五十嵐 その通りだと思います。アクションゲームは人を幸せにすると思ってますよ。だから私は好きなのかも知れないですけど。

村上 数年前に「ゼルダの伝説スカイウォードソード」っていうwiiのゲームをやっていて、横で幼稚園の娘が見てたんだけど、父親がwiiリモコンを振り回してる姿を見てたまらなくなったのか「やりたい!」って言いだしたのね。で、リモコンを貸したら、敵を倒すでもなく謎を解くでもなく、ただ同じところをグルグル走り回るわけ。そのあと地面に植えてある大きなカボチャを見つけて、それを持ち上げて近くにいたおばあちゃんの頭に投げつける。するとおばあちゃんが悲鳴を上げる、という一連の動作を見て延々ゲラゲラ笑ってるわけ。正直時間が勿体ないからリモコン返せって思ったんだけどね…。でも、自分がとったアクションに対しておばあちゃんの「悲鳴」という即時フィードバックがあって、反応を示してくれたっていう喜びが次の行動を促すという流れを生んで、もっと難しいことをしてみようと試行錯誤を始めた。この様子を見たときに、無駄の中から精神を豊かにする方法を自分で発見して、能動的に難しい課題を見つけようとしてるんだ、って思った。こういう力をもっと社会で活かせたらなって思うよね。

五十嵐 そのへんの話、これから卒業制作を進めるにあたって復習したいのでまた授業覗きに行ってもいいっすか?

村上 別にいいけど、そもそもワケ分からんものをワケ分かる形にするのがゲームデザインだし、授業を聞くよりもこれまでの経験を活かしてフィールドワークをした方が勉強になると思うよ。
任天堂の宮本茂さんがアスレチックランドで子供の動きを見て飛ぶことの喜びを見出してスーパーマリオを生み出したのと同じように。例えば五十嵐が木漏れ日の中を散歩してたと仮定して、光の部分を歩いてるときの喜びと、影の部分を歩いてるときの喜びがあったとしようよ。この差について何らかの発見をしたときに、この感覚をどうやって人に伝えるか。どんなゲームデザインにしたらここで得た感覚を他人と共有できるのかを考えるのが大事。でもそれを言葉で伝えちゃうと「説明」になるから、操作性だったり間合いだったり、ナラティブで体感させていくのが「表現」になる。

五十嵐 説明は極力排除して体感させたいですね。任天堂のゲームなんかナラティブを追及してるから「やらされてる感」がないままちゃんと自己表現をさせてくれるからどのタイトルも面白いですよね。

村上 アクションゲームの話からあっちこっちへと無駄な話が展開されたけど、結局は全て「自己表現」という結論に至ったし、無駄なものはないという伏線は一応回収されたかな。というわけで、これまでの経験を活かしてこれから卒業制作を頑張って下さい。
では、ありがとうございました。

五十嵐 ありがとうございました。

posted by ムラカミ at 00:45| ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする