2019年06月06日

ゼミ通ヒーローズ Vol.08 「杉山大地と敵という概念について語るの巻」

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ゼミ通ヒーローズ Vol.08

杉山大地と敵という概念について語るの巻


今回のゼミ通ヒーローズは、ゲームゼミが誇る摩訶不思議なモンスターキャラ、4年生の杉山大地さんをピックアップします。
小学2年生の頃より創り続けたモンスター図鑑や、3年生の時に制作したデジタルゲーム「魔界創生」で奇抜で独特の世界を生み続けています。

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自撮り@フランスのJAPAN EXPO会場


村上 まずキミは一体…どういう人なの?

杉山 息する間にも無数の変体、すぎゃんです。

村上 …。

杉山 …。

村上 え?

杉山 宜しくお願いします。

村上 はい、宜しくお願いします。すぎゃんって元々ゲームに興味があったの?

杉山 えーとゲームに興味があったというより、大学に入る前からゲームの制作はやってました。大学に入った動機は私のライフワークといえる「モンスター」の探求を追求できる環境に身を置きたいというのが大きかったです。

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小学2年生の頃から描き続け、今も尚増殖中のモンスター図鑑。


村上 てことは別にゲームが作りたいわけではなく、モンスターを描きたかった?

杉山 そうです。小学2年生の頃から描き続けてきたものがありまして、今でですね、1万1339体ですね。

村上 大学に入学したときに8000体だったっていう数字はよく覚えてるわ。でも、これだけたくさん描いてタッチが変わらないっていうのは…!?

杉山 あえて変えないようにしています。これは統一感というよりも、私が小学2年生で描き始めたときのことを「続行する」という意志で、その創作は始まった時既に完成していて、それがあるべき姿に彫刻され続けているということです。私はこのモンスターの創作を「モンスターデザイン」ではなくて「図鑑の創作」と考えているんです。で、モンスターはそもそも私が考える以前に既に存在していて、私はそれをあるべき姿に描き出しているだけである、そういう制作に対するスタンスで、探し出してそれを記録するという心で描いています。

村上 モンスターを探し出して、というのは、現実世界ですぎゃんにとって感じるモンスターを炙り出している、という意味?

杉山 現実世界と言ってしまって良いのか分からないのですが、最初にこの活動を始めたときから、それまでそうであるようにモンスターが自然に描き出されるプロセスの中で、何を参照しているのか、その、えーと、そのものに素直になる。

村上 ???

杉山 現実世界の、例えば「これがモンスターに感じるからこう描き出そう」ではなくて、もっと素直に頭の中に出てくるモンスターで、そこから変えないようにしようと、そんな感じです。

村上 てことは、定義としては「妖怪」ではないのね。

杉山 妖怪ではないです。もっと自然な動機で生み出されるモンスターです。

村上 自然な動機というのは?

杉山 これは「あそび」に繋がることなんです。モンスターを描くっていう人間の行為が自然な行ないだという直感があって、それがどのように自然かっていうことを追及するために動物行動学を勉強したんです。まず、モンスターって仮想敵といえるじゃないですか。仮想敵を作り出すということは動物にとって自然なことだといえるんです。例えば狩りをする動物を動物園に閉じ込めて、餌を与えて運動をさせていても健康な状態ではなくなってしまうそうです。そこで、エンリッチメントっていうんですけど、狩りとか縄張り争いのような行動の状態をあえて作り出す。例えば、複数の同種を檻に閉じ込めることによって動物が健康になるであるとか、あと、こういう話もあるんですね。ヒナから鳥のエサで育てたが、ある日部屋の隅に飛んでいって、そこに虫がいないのに獲って食べるという仕草をするんです。仕草だけして満足して帰ってくるというようなことがあるんです。だから、何か仮想の敵対を生み出して安心を得るっていう自然で素直な行動が動物にはあるんです。私のモンスター図鑑は、そういった自然で素直な動機から生み出される想像のもののコレクションということですね。

村上 食物連鎖みたいな、所謂「天敵」というものとは別のもの?

杉山 一部当てはまります。食物連鎖でいう天敵も恐怖を感じて行動を誘発するっていうものの一つです。あと縄張り争いで対峙する敵だとか、メスの取り合いで対峙する敵だとか、あとは単純に被食者が捕食する動物だとか、そういったものですね。私が考える敵というのはそういうものです。

村上 ここに描かれてるモンスターは、すぎゃんにとっての敵ということではない?

杉山 そういうことです。ですが、そのモンスターが生み出される人間の深層心理がモンスターを生み出しているのであって、それにおいて、私自ら敵対を生み出すっていう心を利用しているっていう感じですね。だからそのモンスターを敵に思うっていう心を発信源としてモンスターが生み出されていると。ですが、理性的には敵対をしているわけではないです。

村上 心のよりどころとしてのモンスターなのかなっていう気もするね。写経のような感じというか、悟りに向けて自分の中の何かを吐き出しているというような印象も受けるね。
じゃ、これが仮想である理由は?

杉山 動物図鑑を作っても、それは現実に存在するものなので数に限りがあります。もしかしたら仮想敵を生み出そうとしていた最初の段階、つまり小学2年生以前の状態では、ライオンを描いたりすることで満足していたので一定の効果があったのかも知れません。でもモンスターっていうのは数に限りがないのでいくらでも作れるわけですよ。それに、そういう敵対するものとしてゲームの中で組み込まれていたり、例えば昔私はポケモンだとかドラゴンクエストモンスターズだとかピクミンだとか、そういうものをやってたんですが、モンスターっていうのは基本的にそういうゲームの中では敵として存在するじゃないですか。そういうものを見てきた中で、「敵がほしい」って自分の中で思った時にモンスターを描き出すのもまた自然なことだったんです。

村上 ここでいう「ほしい」というのは、敵を作りたいということ?

杉山 そうですね。動物の感情にそういうものが自然に存在する。例えば、もっと簡単にすると、えーと、すごい怖い先生がいる。威嚇されると動物は威嚇し返したくなる。そこで先生を打倒してしまえば本当は解決するんですが、倫理的にそれはできない。なんせ先生ですから。となると、転移行動っていうんですけど、別のものに攻撃の方向を切り替えるんですよ。その攻撃の対象が所謂仮想敵であると。そういうものの延長であるというか、それが形を持ったものがモンスターともいえるんです。

村上 弱い人が何かに八つ当たりをする感覚なのかな。

杉山 誰しもそういうことってあると思います。色んな状況がありますから。ある行動を誘発されてもできないというときに行動が転移するので、何にでも起こり得ると思います。ケーキが食べたい、でも太ってしまう。だからストレスがたまる。で、そのストレスの発散方法はいくつでもある。そういうことですね。

村上 それがすぎゃんにとってはモンスターを生み出すことなんだ?

杉山 はい。そのおかげでここまで継続できたというのは極めて稀な例だと思います。

村上 精神を高めるためとか、安らぎを求めてるとか、そういう浄化作用みたいなものを求めてモンスターを描いてる感じだね。
ゲームの話に戻すけど、ゲームの中には敵キャラがたくさん存在するよね。ドラクエは倒す為に、ポケモンは捕まえるためにとか色々あって、いずれにしても主人公が前に進むときの障害物でしかないと思うのね。ゲームキャラとは所詮記号の塊だから。そんなゲームの中の敵というのはどう考える?

杉山 ゲームっていうのは、色々多様化されている中で、ユーザーを目的に向かって進ませていかないと遊びが成立しない。その成立させるための要素としてモンスターというのはあると思います。さっき言った通り、誰しも敵対するっていうことが人類にとって慢性的に不足してると思うんですよ。だから敵対を作ることで人間はゴールへ向かっていくわけです。

村上 例えば社会生活の中で、「共通の敵を作ると結束が固まる」っていう場面もあるけど、それはどう捉える?

杉山 コンラート・ローレンツという動物行動学者の著作である「攻撃・悪の自然誌」っていう本があってですね、その中にそういうことが書いてありました。縄張り争いがあって関係性がギスギスする。これは人間でも何でもいいです。で、その関係ってある所で止まるんですよ。AがBを追いかけるとBは逃げるじゃないですか。そのときAは自分の縄張りから遠ざかっていって、Bは自分の縄張りに入るわけです。するとAの勇気が段々なくなっていってBの方が強くなる。そしてBが勇気を持ってAを追いかけると、今度はその逆が起こるんです。その結果縄張りというものがあるスペースを確保して落ち着くんです。そこに別の敵Cが入ってくると、AとBが協力するんです。それが学習されて仲間になる。で、人間社会において共通の敵を作ると仲良くなるというのにも、これが当てはまってると思います。

村上 少年ジャンプの中の王道ストーリーで、「魁!男塾」とか「ドラゴンボール」で敵が登場すると、当然戦うよね。それが終わるとまた別の敵が出現する。その時にさっきまで戦ってた相手が味方になって力を合わせて新しい敵をやっつける。この繰り返しで雪だるま式にチームが巨大化して最大の敵に挑むっていうのが、動物行動学的に言えば理にかなってるってことだね。

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精神統一中…


杉山 そうですね。それが色んなスケールで起こってると思います。例えば人間みたいに先のことを予測できる想像力のある動物だと、互いにパーソナルスペースを狭くした場合、物理的な接近点というものはあっても、心理的もしくは法的に守られているスペースが別に存在する。目には見えないけれど、潜在的な心の距離は、ちゃんとさっきのAとBの関係のように存在しています。それが物理的・直接的な縄張り間での関係というのが大きなスケールだとすると、その心理的なものはもっと小さなスケールといえます。些細な切っ掛けで友達になるっていうケースもありますね。大きなプロジェクトを成し遂げたとかではなくて、子供が「ちょっと気が合う」みたいなところで共通の認識を持つ。同じメーカーの鉛筆を持ってるとか、それが心理的に小さなABの関係を作る。そういうことがすごく反射的に、感じられもせずに起こっているんです。

村上 小学生のときに、いじめっこが突然優しくなったりすることがあるけど、これもさっき言った、理由も分からないような些細な共通項を見つけたから起こる現象なのかな。

杉山 さっきの鉛筆の話は、同族嫌悪ですね。意識して嫌悪なんてしてないと思いますけど、反射的に、そして感じられずにある同族嫌悪かもしれません。それが、感じられないほど小さな縄張り争いとして勃発して、そこにまた仮想の敵も出てきて仲良くなるっていう、仮想のプロセスが人間にはできると思うんです。いや、できてるんだと思います。そういう、本人たちにとっても意味不明なプロセスによって、いじめっこの心境が急に変わったり、そういうことが往々としてある。不思議な生き物ですね、人間って、ふふ(微笑)。

村上 日本の教育ってそれを求めてきたよね。皆同じ。皆で足並みを揃えましょう。同じスーツを着て同じ髪型で就活をする。外国人からは気持ち悪がられるけど。これは同族嫌悪ではなくて安心を生んでるようにも感じるね。

杉山 安心の要素はすごくあると思いますね。それによる抑圧の側面もあります。色んな人がいて、色んなことが出来て、色んなことができない人がいる。で、色んな条件があるんですよ、発散の条件が。それに社会から保証される抑圧と解放の仕組みが沿わない人っていうのが出てくる。最初から社会に反抗しようとする人はいないわけで。逆にそれに沿う人は安心すると思いますね。数の力は強大ですから。

村上 カテゴリーに収まりたがる傾向があるよね。何か病名をつけてほしくて医者に行って、それによって安心を得たり。

杉山 社会性のある動物として進化してきて、ここまで発展してきたという過程があるので、それは当然だと思いますね。就活のときに皆同じ服で同じ髪型で、というのは、「社会に出なければいけない」から出る人と、「社会に出たい」から出る人に分かれると思うんですけど、まあ、出たい人は出ればいいから置いといて、前者の場合は強制される感覚があるから「就活」そのものや、それが強制するイメージを敵視する層というのが、足並み揃うことに安心する層の反対に結果的に存在することも必然のように感じますね。

村上 すぎゃんにとってゲームの中の「敵」っていうのはどういう存在?

杉山 アクションでもRPGでも、やられるための障害物としての存在っていう位置づけの敵を倒すことによって心理的な解放があって、プレイヤーが自ら話を進ませていきます。それはすごくシンプルな構造ですよね。敵っていうと、怪物だとかゾンビだとか、プレイヤーに危害を与えてくるっていう見た目を想像しますが、私は、最初に話したかもしれないですけど、「あそび」そのものと「モンスター」が実は同じ定義であると考えています。あそびって言い方を変えればモンスターだし、逆もまた然り。モンスターは仮想敵で、それは色んなスケールで存在するっていう話もしましたけども、ゾンビとかっていうのはかなり大きなスケールで分かりやすくしてあります。さっき鉛筆を例に、気付かないくらいの小さな敵対っていうのがあったように、そういうものがゲームの中に、例えば落とし穴や単に壁といった障害として存在しています。更に言えばデザインそのものも。色彩やUIとかも、「なんでこの形が正しいのか」ってあまり理論的には話されないじゃないですか。黄金比がどうして美しいのか、とか、感覚では話されますけど。私はそこにも敵対というものが潜んでると思うんです。

村上 例えば?

杉山 黄金比ってフィボナッチ数列であり、自然の存在です。やっぱり自然のものが刺激としてそれまで人類以前ずっと身の回りにあったわけですよ。で、色んなものに関係を持ってきたと思うんですよね。その中にはもちろん敵対があると思うし、それが蓄積された結果、黄金比っていうもの自体にある一定の刺激を得るようにDNAにプログラムされている、結果的に。それが敵対の解放を交えているんです。

村上 敵対の解放を交えている???

杉山 そうです。黄金比そのものがDNAに組み込まれて、感じられないかもしれませんが、黄金比でできているものを見た瞬間に何らかの解放を得るんです。

村上 生理的に美しいと感じるっていうのもあるけど、それそのものが解放を表してる?

杉山 そうです。「美しい」っていうものも謎ですけど、何かしらの原理で美しいというものがありますよね。

村上 美しいっていう言葉自体が主観だからね。定義のしようがない。

杉山 でも答えはあるじゃないですか。美しさの理由というのは。自然から生まれたものだという履歴があると思いますし。だから逆算的に敵対の解放ともいえます。これがすごく自然な動物の安心とか喜びのプロセスだから、それに関係するという考え方をすることが自然だと、私は個人的に考えています。
で、UIとか色彩においても同じで、この美しい色彩というのが敵対を含めていると。で、その刺激の割合、抑圧の解放をもたらすプロセスもそれ自体があそびでありモンスターであると考えています。

村上 ゲーム自体が障害物だらけで構成されていて、解放に向かって進んでいくものであって、障害が大きければ大きいほど楽しくなる。解放のために敵を好んでいくっていう心理的作用があるよね。

杉山 そうですね。私たち動物にとって攻撃は元来健全なものであると考えます。だからゲームっていうのは、動物、特に人間にとっては必要なものと考えます。

村上 勉強に置き換えると、問題文そのものが敵であって、解いた先にある称賛であったり承認であったりっていうフィードバックが解放にあたるということね。

杉山 もっというと、敵対自体が解放である、ていう考え方もできると思います。その問題に答えなくてはならないという状況に突き当たる刺激自体が、実は嬉しいことみたいな。で、勿論それを打破することも別の解放であると。

村上 現実世界だったら、問題を解決することによってそれが経験値になって、もっと難しい問題に挑戦したくなったり自分の中の向上心を刺激するだろうし、これがゲームだったら単純に与えられた次のステージで遊べるようになるという付加価値がついてくる。敵を倒すということ自体が成長につながるというところがまず単純に大きい。次は「なんで人は成長したがるんだろうか」っていう問題につながっていくんだろうけど。解放の先にあるものが何なのか、ていうね。

杉山 成長というのは、私の考えとしては結果的なものだと思います。無心に敵対を解放することで結果的に成長したという記憶があったら、それを学習して成長が目的になるんだと思います。でも、敵対を目的にするっていうことはできないと思うんですよ。倫理的な観点からいくと。禁止されてますよね、危ないですから。でもこれが人間をゲームに至らしめたものの一つだと考えます。

村上 抑圧されたから仮想のものに移ったっていう最初の話ね。

杉山 そうです。敵対自体を目的にできないんです。だから、成長を目的にして敵対する。

村上 でもゲームの中でいうと、ジャンルは違えど「敵が出てきてやっつける」という行為自体に喜びを感じてるだけで、成長したいから敵と戦うっていう気持ちの人って実は少ないと思う。Aボタンを押したら剣を振りました。すると敵は倒れました。この時の効果音やエフェクトやUIデザインなんかが複合的に演出されて喜びを増幅させるのであって、これがプレイヤーにとっての小目的になる。それが蓄積されて次のステージへ行きたいという中目的が表れて、この小と中の快感のサイクルが最終的にゲームクリアという大目的へ向かっていく。
プレイヤーはこのサイクルを楽しんでるわけであって大目的へ行くことは意識してない。結果的には行ってしまうけどね。だからどちらが目的かというよりも、ゲーム的な発想からいうと、敵対と解放のサイクルそのものを人は楽しんでるともいえるんじゃないかな。
勉強でも小テストの先に中間テストや期末テストがあるのであって、最初から期末テストを目的に頑張る子供なんていないわけで。日々の学びを楽しんだ結果として期末テストを迎える。

杉山 そのサイクルの仕組みが理解出来たら子供にとっても勉強が楽しくなるんでしょうけどね。人間個人個人がもってる条件に勉強っていうものが提示する抑圧と解放のサイクルが当てはまった人っていうのが「勉強のできる人」になるんだと思います。公式を覚えたとか年号をたくさん暗記したとか、そういうことではなく。

〜インタビューの終わりに際してメッセージ〜

杉山 あと、子供の頃から禁止されてきましたけど、敵対を観察してみて、敵対自体を目的にするっていうことを心の中で少しやってみたら幸せになれるかもしれません。敵対をネガティブに捉えるのではなく、攻撃は元来健全なものであるっていうことです。そして抑圧は楽しみを生む条件であるともいえます。
抑圧もゲームのいち要素。ゲーム以前の抑圧もまたゲーム要素だと思います。つまり、人にストレスを与える要素や自身の限界などです。これが切っ掛けで解放の方法を考えた結果ゲームというものが生まれたとも考えられますね。と考えると抑圧というものはとても尊いものであるといえます。悲劇ですね、ふふ(微笑)。

村上 なるほど。抑圧というネガティブな響きを含むものも、こうして視点を変えてゲーム的発想に置き換えることでポジティブに捉えられるね。
「ゲームだから敵が出てきて当たり前」とかそういう考え方ではなくて、なんでそいつがいるのか、とか、それによって何を感じるのか、ということを考えて日々生きると色んなものが面白く見えてくるんじゃないかな。それによって現実世界っていうゲームがより魅力的で楽しいものになると思う。
というわけで、今回は「敵」というテーマで話をしてみました。同じテーマでも違う人と話すとまた全く違う展開が楽しめそうなお題でした。ありがとうございました。

杉山 はい、今日はありがとうございました。

posted by ムラカミ at 01:02| ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ゼミ通ヒーローズVol.07 「五十嵐智哉とアクションゲームにおける自己表現について語るの巻」

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ゼミ通ヒーローズ Vol.07
五十嵐智哉とアクションゲームにおける自己表現について語るの巻


今回のゼミ通ヒーローズは村上ゼミ4年生の五十嵐智哉さんをピックアップ。
インディーズゲーム全盛期のこの時代に、学生でありながらハイエンドなメジャー路線のゲームを作り続ける彼の創作の神髄について触れていきます。
たまにはマニアックな話をしても良いかと思って専門用語満載のオタク談義になっているので、よほどゲームや映像に興味がない人は別に読まなくてもいいです(笑)!

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ハッカソンの現場でゲームのプログラミングを行なう五十嵐さん。


村上 今回はちょっとマニアックなゲームの話を掘り下げてみようと思ってるんだけど、まず五十嵐の一番好きなゲームって何?

五十嵐 「聖剣伝説」とか「スターオーシャン」「テイルズ」シリーズみたいな、アクション要素の入ったRPG(ロール・プレイング・ゲーム)が好みです。もちろんストーリーも好きなんですけど、それ以上にそのゲームの世界に入り浸れる時間が好きで。RPGって、装備を買い集めたりして拠点にずっと留まることもできるじゃないですか。でもアクションゲームって次から次へと通り過ぎていくので、やっぱり自分のリズムで自由に遊べるものが好きなんだと思いますね。

村上 最近はその辺の要素が融合してるゲームが多いよね。「スーパーマリオ・オデッセイ」だと、アクションゲームでありながら、まず拠点があって世界各地を旅してスターを持ち帰って拠点をカスタマイズするとか。

五十嵐 リソースを管理して自分のオリジナリティを出すっていう所に魅力を感じてた気もしますね。そもそもアクションRPGが好きな理由が、プレイヤーによって遊びの表現幅が変わるというところなんです。RPGでも装備品やステータスの振り分けによってキャラクターを自由に変えられるので人によって遊び方が変わりますけど。この表現の幅を、RPGとアクションを組み合わせると更に大きな幅になるなと思って。

村上 表現幅というと、ゲームを能動的にする要素として「自己表現」というのがあるよね。例えば「ストリートファイター」みたいな格闘ゲームで遊んでるときに、小パンチを連打して勝つという方法もあるけど、やっぱりケンを使うなら昇龍拳でフィニッシュを決めたい。別にそうしろと命令されてるわけでもないんだけど必殺技で敵を倒したいっていうユーザーストーリーがあるよね。

五十嵐 実際に自分もそういう体験があります。「エルソード」というネットゲームがあって、その中に「カウンター」っていう技があるんですよ。これは使うのが物凄く難しくて、誰も使ってないようなものだったんですけど、うまく使えるとかなりカッコ良かったんですね。ネットゲームなので主人公のエルスっていうキャラクターはたくさんいるんですけど、カウンターを使うエルスは誰もいないんです。その中で僕はカウンターを使いまくって、その動画を配信したらそれが物凄く伸びて、チャンネル登録者数も増えたという時期があったんですけど、そういったこともあって「自己表現」ができるってことがゲームで遊ぶ上でも作る上でもとても大事だと思ってます。

村上 アクションってビジュアル的にも特に分かりやすいもんね。

五十嵐 プレイスタイルも分かるし、何ならプレイヤーの性格まで見えてきますからね。

村上 アクションゲームって同時多発的に色んなことが起こるから、皆が同じプレイの仕方をしていてもバタフライ効果でどこかで差が生まれてくるし、ただでさえその違いを見るだけでも面白いのに、一人の敵に対しても何通りもの倒し方が設計されてて、特にオープンワールドのゲームなんかだとその違いを見つけるのが醍醐味みたいになってるよね。
君はそんなアクションゲームを実際に作ってるわけだけど、今度は作り手としての話を聞いていこうかな。

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イラストバトルイベント「MINUTE」の企画会議中の五十嵐さん(左)。


五十嵐 去年はUNITYを使って「ロプテトラント」というゲームを作りました。

村上 3Dのアクションゲームだったね。UNITYは大学の授業で習得した?

五十嵐 授業で習うのは2Dのみだったんですけど、今回どうしても3Dのアクションゲームが作りたかったので、3Dの処理に関しては独学で覚えました。これに伴って、3dsMax(3DCGを制作するツール)も今回の為に覚えました。CG制作の授業を履修してなかったので、結局これも独学で。

村上 なんでそんな面倒なことしようと思ったの?(笑)

五十嵐 ただ単に誰もやってないことをやりたかったんです。さっきも出た「自己表現」の一つですね。ゲームゼミの中で、3Dのゲームでしかもアクションゲームなんて面倒臭いものをなんで作るんだ!?て周りの人に言わせたかったんです。

村上 ストイックやな…。承認欲求が強い?

五十嵐 強いと思うんですけど…でもそれ以前に天邪鬼なところが大きいんだと思います。「無理だ」って言われるとやりたくなりますね。そこが創作の面白さかな、と考えてますし、面白いことをすると人も喜んでくれるんですよね。

村上 なるほど。では、そのゲームの内容を教えてくれる?

五十嵐 これは3Dアクションゲームなんですけど、やっぱり「エルソード」のカウンターが自分のルーツの一つにあるので、これくらい難しいんだけど挑戦したくなる技を組み込むというのをやりました。最近でいうと「ニーア・オートマタ」みたいにジャストで回避すると派手な演出があるとか、そういう要素を入れました。昔のゲームにはそういうのってなかったと思うんです。

村上 回避とかガードといった動作を使って更にゲームを面白くするのって、今では主流になってるね。

五十嵐 はい。私が知る限り最初に出たのは「ファンタシースター」の中にある「ジャスト攻撃」ではないかと思っています。逆に「ジャスト回避」の最初は恐らく「ベヨネッタ」ではないかと思うんですけど…どうでしょうか。でもその辺りからアクションゲームの中では爆発的に流行った気がします。それまでも「回避」はあるにはあったんですけど、どのタイミングで回避しても演出が同じでしたしね。

村上 アクションゲームというと「攻撃」に重きを置く傾向があってプレイヤーもそこにしか注目しなかったけど、「回避」っていうつまらない動作に別の要素を入れて更に面白くするっていう発想だよね。

五十嵐 これって実は最近ではなく「インベーダー」の頃からあったんじゃないかと思います。あのゲームは敵がどんどんプレイヤー側に迫ってきて危ない状況になっていくじゃないですか。でもある一定の場所まで下りてくると逆に無敵ゾーンみたいなものが出来るらしいんですよ。そういうリスクが極限まで高まると最高のリターンが得られるっていう仕組み自体がこの頃からあったんじゃないかと思います。

村上 なるほどね。当時の話だから、意図して組み込まれた仕様なのか単なるバグなのか、そこは定かではないね。昨今のゲームだと、極限まで行くと最大のリターンが、ていうのはどれも当たり前のように入ってるね。

五十嵐 実は「ロプテトラント」には「回避」と「カウンター」の両方が盛り込まれてるんです。「回避」の方が使いやすくて、いつでも発動できるものなんですけど、これを今までだと「ジャスト回避」にすることでバランスをとっていたんですね。でも表現の幅という意味でいうと、少し練習したら結局みんなできるようになってしまうんですよ。で、ここから更に表現の幅を生み出すなら、更に難しい仕掛けを用意してやろうかなと思って「カウンター」を入れました。

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五十嵐さんの作品「ロプテトラント」


村上 今だと超大作化がどんどん進んでいて、アクションの中にもそれなりのオマケがないといけない。最近だと分かりやすいのは「FINAL FANTASY XV」。戦闘システムにはかなり複雑な要素がこれでもかと盛り込まれてるんだけど、やりようによっては、ただただ闇雲に斬るだけでも頑張れば勝てる。さっきのストリートファイターで小パンチ連打で勝つような感じだね。でもそれじゃ気持ち良くないしつまらないからジャストで何かをするとか、それに伴ってリターンも大きくなるという付加価値が積み重なっていって、うまくなればなるほど遊びがどんどん深まって面白くなっていく。初心者もコアなゲーマーも皆が平等に楽しめるように表現の幅が盛り込まれてる。

五十嵐 プレイヤーが付加価値を作るって言いましたけど、プレイヤーがクリエイティブなことができるっていう点がすごく面白いなと思います。現実社会だと、みんな何かを表現したくてもそれができない環境にあるような気がしたんです。そういった社会に抑圧されたものを表に出していいんじゃないかと常に思ってるので、能動的な何かを仕掛けるというのはいつも考えてます。ゲームにはそういうアンチテーゼとか風刺の要素ってどこかに入ってると思いますね。

村上 ゲームの形にする時点で何らかの風刺やメッセージは含まれると思う。何かを訴えたいからモノを創るわけで。

五十嵐 特にゲームって「見る」だけじゃなくて「体験」して初めて伝わるものだから、制作者の意図はダイレクトに伝わりやすいですよね。

村上 テーマ性以前に、特にアクションゲームを作る時って、間とかリズムの調整が物凄く大事で、これがゲームの面白さを左右する全ての要素だと言ってもいい。

五十嵐 そこは重要視しますね。学生作品にありがちな「攻撃しても何の隙も生まれない」とか「いつの間にか敵を倒してた」「理由はわからないけどゲームオーバーになってた」というようなザツなゲームにはしたくなくて。

村上 そういうのって、単純作業であってゲームじゃないもんね。

五十嵐 はい。単にボタンを押してるだけですからね。間とリズムを考えることによって初めて体験というものが生まれてくるので、これは本当に重要ですね。実際にその調整にはかなりの時間を費やしました。

村上 どうやって調整した?

五十嵐 まずは自分の感覚を信じてっていうこともありますけど、「回避」っていうアクションに対してはこれくらいの隙が必要だとか、カウンターに対してはこれくらいの見返りが必要だとか、これは自分の経験則によるものなんですけど、リスクとリターンの釣り合いをとるように意識しましたね。

村上 レベルデザインはどうしてる?

五十嵐 えーと、結構コアな話しちゃっていいですか?(笑)

村上 もちろん。今回オタク枠だから(枠)。

五十嵐 今回は、攻撃して仰け反る敵と仰け反らない敵の二種類を用意しました。なぜかというと、まず仰け反る敵が相手だと攻撃ボタンを押せば絶対に勝てるんですよ。相手は延々仰け反るわけですから。でもそこで敵の数を増やすことによって、他の敵も攻撃を仕掛けてくるから必然的にそれを避ける「間」が生まれるんです。攻撃の隙があるので。まずここで敵の数を調整しました。逆に一人だけ仰け反らない敵がいるとしたら、プレイヤーはこの敵に振り回され続けることになるので、他の敵が仰け反る敵でもアクションとして活きてくるわけですよ。こういったことを何度もシミュレーションしながらレベルデザインを調整していきました。あとはその敵の配置ですね。

村上 これは半年で作った体験版だったので敵は二種類だけだったけど、もし製品としてリリースされるのであれば、敵は何十種類と出てきて、飛び道具を撃ってくるやつがいたり、通常の武器では倒せないやつがいたり、そこでもまたレベルデザインは変わってくるよね。

五十嵐 もちろん、そうなりますね。

村上 改めてスーパーマリオなんかを見てると、本当に上手く作ってるなって思うよね。こいつは踏める敵で、次にカメ。カメは甲羅が固いから踏むだけではダメ。ここらで遊び方や敵の特性を学習して、慣れてきたころに羽の生えたカメが出てきたりね。飛んで敵を踏むのが楽しいゲームなんだと思わせておいて、今度はトゲが生えてて踏むことが許されないやつが登場する。一旦慣れたアクションに対してその逆をいく敵がどんどん出てくる。このレベルデザインが秀逸すぎて、もう30年以上も前のゲームなのに、全ての面白さがここで完結してしまってるような感じがする。

五十嵐 ストーリーや世界観を考えるよりも、レベルデザインを考えてる時が一番楽しいですね。そのアクションを通してプレイヤーにどんな驚きを提供するかが決まってくるわけですから。私が常に拘っている「プレイヤーは表現者であってほしい」が中心にあるので、レベルデザインを考えることは必然なのかなと思いますね。ただ、王道路線のゲームにプレイヤーが慣れてしまったので、あえて逆に従来のレベルデザインの常識を覆す「UNDERTALE」なんていうインディーズゲームも出てきましたね。ゲームそのものを皮肉交じりにメタ的に表現したタイトルなんですけど。ボスキャラが、バトル開始と同時に一番強い技をバンバン放ってきたりするんです。その時のセリフが「なぜ誰も最初に一番強い技を使わないのか疑問だ」ていうのがあって、そこに踏み込んできたってことは他のクリエーターも王道ゲームに飽きを感じてたのかも知れないですね。

村上 ゲームのアイデアが枯渇してきてるから視点を変えてメタ的な表現も含めていかにプレイヤーを裏切るかが問われてきてるね。そんな状況下でできることって何?てなった時に、「風ノ旅ビト」や「GRIS」みたいなアーティスティックなインディーズタイトルが流行ってくるんだと思う。

五十嵐 今のインディーズ人気はすごいですよね。ゲーム人口も増えましたしね。

村上 UNITYが基本無料ということもあって、ゲーム開発に対する間口が一気に広がったっていうのも大きいね。イラストの世界にSAIやClipStudioが登場したことでデジタル作画の敷居が下がってイラストレーター人口が増えたのも同じで。
制作費100億円を投じてメジャーのAAAタイトルを作るのは個人作家には無理ってことで、低予算で独自性の高い演出が可能なインディーズに流れていくんだと思う。でもそんな中で五十嵐は更にその裏をかいて学生でありながらメジャー志向のゲームを作ったね。真正面から斬り込んできた印象があるね。

五十嵐 はい、まさに私の天邪鬼の一面によるもので、意図的にそうしてます。

村上 今度は、アクションゲームを作る上で外せないのがエフェクト(特殊効果)ね。実際に現場で作っててもかなり楽しい作業の一つなんだけど、学生のうちってゲーム用のエフェクトを作る授業がないからこの面白さが分かる人が少ないのが残念。

五十嵐 今回はマテリアルとシェーダーを買ってきて、それらを組み合わせてパラメータを調整して独自のエフェクトを作りました。

村上 ゲームの中でエフェクトがもたらす効果ってどんなものがあると思う?

五十嵐 ゲームの良いところって、コンシューマゲームでいうとコントローラーがあるところ。その時に、今回私が作ったゲームだと回避のアクションがあるんですけど、画面効果が「スロー」と「エフェクト」を合わせた時だけ手応えが変わるんですよね。攻撃をヒットさせたときに弾けるエフェクトがあるから快感が得られるし、カウンターの時にも弾く快感が得られるし。そこから追撃した際の打撃感とか、単純にアクションが派手に見える上にプレイヤーが強くなったように感じられます。

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「ロプテトラント」では様々なエフェクトを駆使して、ゲームの爽快感や達成感を表現した。

村上 そういうものって現実世界には存在しないし、実写映画でも格闘シーンでエフェクトなんか出てこない。鉄製の武器が重なった時に火花が散ったり殴られた顔のアップで汗が飛び散ったりっていうのはあるけど。ゲームの場合はあり得ないような魔法効果とか自然現象までもがリアルに感じられるよね。

五十嵐 不思議ですよね、その感覚。でも子供の頃ってよくやりますよね。格闘の真似事をしていて、殴るとき「ビシッ!」て声出したり。何か見えないものが見えてるんじゃないかって思いますよね。

村上 イメージの補完を楽しんでるんだろうね。おっさんたちは「ドット絵のゲームの方が面白いと感じてた」とノスタルジーに浸るけど、情報が少ないから自分の想像で補完して勝手に面白いと思い込む。その前に日本は漫画文化だから記号化されたものを自然に受け入れるのかも知れないね。

五十嵐 ダメージマークを記号として見てたりしますよね。どんよりした時には顔に縦線が入ったり。海外のゲームだと、エフェクトはある程度ありますけどフォトリアルな方向なので日本のゲームほど派手じゃないですよね。人を殴ってもエフェクトなんか出ないですし。水たまりの上を歩いた時に波紋が広がったりしますけど、あれも状況描写をリアルに表現するためのものであってイメージ補完の目的ではないですね。

村上 日本のゲームってデフォルメされたキャラクターが多いから、派手なものは派手に、ていう記号の集合体なんだね。この間Switchのスマブラ(大乱闘スマッシュブラザーズ)をやったけど、エフェクトが派手すぎて自分がどこにいるか分からず全くついていけなかった。これが分かる若いプレイヤーってすごいなって思ったね…。

五十嵐 あれは正直やりすぎだと思います(笑)。

村上 あとアクションゲームを語る上で重要なのが描画フレーム。映像系の人だと24フレームとか29.97フレームの映像に馴染みがあるけど、ゲームって基本が60fps(1秒間に60枚の絵を再生しているという意味)。

五十嵐 ハイエンド系だと30フレームが主流になってますけど、これは映画のルックに近づける目的ですね。

村上 まあ、ポリゴンを使ったゲームだから30フレームで成立してるだけで、2Dゲームなら60じゃないと動きがガックガクになって単なる処理落ちにしか見えない。昔「バーチャファイター」の1作目が30フレームで登場して、この時でも結構なインパクトがあったのに、2作目が60フレームになって、あの滑らかな動きを見たときの衝撃と興奮は今でも忘れられない。でもPlayStation3が出てまた30フレームに戻って、より映画的な動きにしていく方向になったけど、解像度が上がってビジュアルも緻密でフォトリアルになった分、さほど違和感もなく受け入れられたね。

五十嵐 フレームレートを落としてもじゅうぶん綺麗に見えますからね。モーションブラー(映像の残像処理)をかけてより実写映像的に見せるものも増えてきましたし。60フレームだと元が滑らか過ぎてブラーの効果があまり出ないんですよね。

村上 PlayStation2くらいのハードスペックというか描画ポリゴン数だと60フレームにした方が見栄えがするね。

五十嵐 PlayStation4の緻密さで60フレーム描画されたら画面酔いしそうですね。メインストリームとしてはそこは反比例していってる感じがします。でもアクションゲームとしてレスポンスを重視しようとしたら60フレームの方が良いわけですよね。ゲームにもよりますけど。で、そこが30に戻ってるってことは、「見せる」ことを重視していて「遊ぶ」ことから離れていってるともいえるわけですよね。

村上 さすがに「ストリートファイターV」みたいな格闘ゲームは60フレームを維持してるね。60分の1秒の間合いで技を出し合うわけだから。フレームレートが落ちた時点でゲーム性が損なわれてしまう。

五十嵐 フレームの話とはまた変わるんですけど、3Dゲームを初めて作るときって、ジャンプの処理で苦戦しますね。2DのXY軸に加えてZ軸が増えるので、物理演算を考えるとその処理も複雑になっていくんですよね。2Dの頃は簡単だったんですけど、3D対応に慣れていないと変な方向に物凄く高くジャンプしてしまったりとか、制御が面倒臭いんですよね。ゲームデザイナーとしては、ここを辛抱強く乗り越えられるかどうかが問われてきますね。アセットを作ることがまず大変なので、よほど好きじゃないとキツいです。

村上 でも五十嵐はそれを独学だけでやってのけたわけで。

五十嵐 周りを見ていて「3Dアクションって難しいから頓挫しそうだよね」ていう雰囲気とか、「学生だからこれぐらい」という無意識の抑圧があって、勝手に天井を作ってる気がしたので、まずそれをブチ破りたかったんですよね。後輩たちもこれを見たら「なんだ、できるんだ」って思ってくれると思ったんです。これに挑戦してくれたらゲームゼミのポリシーである「必ず先輩を越える」っていう目標が明確になるかなと。単純に希望が持てますよね。

村上 ゲームを面白くする要素に「達成可能な目標設定」とか「アンロック」があって、要は「今はここまでしか進めません。でもあることを習得すると鍵が開いて次へ進めます」ていうのがあるけど、まさにそれを後輩に示してくれてるわけね。

五十嵐 はい、そこは意識して頑張ってみました。実際ゲーム作りって、それそのものが一番楽しいゲームだと思ってます。

村上 前回のゼミ通ヒーローズでも門瀬がハッカソンについて全く同じこと言ってたな(笑)。

五十嵐 まぁ、それ言い出したらこの世界にあるものは全部ゲームですけどね。

村上 人生がゲームだからね。文字通り死んだらゲームオーバーになるけど。でもゲームにはGOOD ENDとBAD ENDがあって、ゲームっていう作られたハコの中だとBAD ENDは本当にBAD。ゲームオーバー画面が出てタイトル画面へ遷移するだけ。だけど人生の中でBAD ENDを迎えた時って、視点を変えるとそれは起死回生のチャンスだったり、悔しさをバネにしてもっと努力しようとしたり。だから人生にはBAD ENDって存在しないと思ってる。見方を変えると全てがゲームになって、このあそびの力で社会をどこまで面白くできるかっていうのが大きな課題だと思う。アクションゲームを作ってる人って、そのことを意識はしていなくても自然に理解できてると思うんだよね。

五十嵐 人生はゲームなんですけど、一つだけ間違いなく言えることは、「面白い」と「命」は等価値だってことですね。面白いを生み出すことは命を生み出すのと同じくらい大事なことだし。人生を楽しめるってことは生きる理由そのものだと思うんですよね。ゲームのいいところって結果が分からないところ。結果のあるものを作っても仕方がないからゲームを作るんだっていう気持ちがあります。

村上 まさにプレイヤーを表現者にするゲームね。じゃあ、表現者にさせるためのゲームデザインとは?

五十嵐 挑戦したくなる仕組みがあるってことですかね。

村上 じゃあ、挑戦したくなる仕組みとは?

五十嵐 無駄を愛せるかどうかですね。合理性ありきじゃなくて、人の生き方もそんなところがあって、無駄なく最短ルートで効率良く生きて、果たしてそれは面白い人生なのかって思うわけですよ。紆余曲折全部ひっくるめて、合理的な観点からいえばそれらはすべて無駄なものになるわけですけど、でもそれを愛してるから人生が面白いんだと思うんですよ。

村上 自分も昔から「遠回りこそ最大の近道だ」って思ってるから、それはよく分かる。回り道すればするほどネタが蓄積されて、それが集まって次の作品作りに活かされるわけで。人生で起こることは全てネタなので無駄に見えて無駄なものは何一つない。

五十嵐 ていうかゲームそのものが本来無駄なものなので(笑)。

村上 その無駄なものを止められなくなるくらい楽しいと感じてプレイヤーを長時間拘束するってすごいエネルギーを要する仕事だよね。

五十嵐 「ロプテトラント」だと「カウンター」がまさにそれに当たる部分なんですよね。ぶっちゃけ「回避」だけでもゲームとしては成立しますから。でも、自分を表現する自己承認のためにもあえてカウンターを使うっていう精神が無駄を愛するゲームデザインってことになるんだと思います。

村上 ゲームはなぜ夢中になるかっていうと、見返りがないから。無償の愛に対して夢中になれる。

五十嵐 歴史学者のホイジンガが提唱したホモ・ルーデンスの中で遊びの概念として同じこと言ってましたね。

村上 そうそう。報酬がもらえるよりも精神を満たすっていうことが生きる上で優遇されてるよね。だから人はゲームに夢中になる。

五十嵐 大昔ですけど、フリードリヒ2世が、何の言葉も与えないで育てた子供はどんな言葉を発するのか、ていう実験をしたらしいんですよ。一切会話もしないし愛も与えない。ていうやり方で赤ん坊50人を一斉に実験に使ったんです。すると、ちゃんと栄養を与えてるのに赤ん坊が全員死んだらしいんです。これって結局「面白くない」から死んだんじゃないかって考えたんですけど、どうなんでしょうね。さっき「生きる=面白い」って言いましたけど、「愛=面白い」とも考えられるかなと。

村上 ゲームって、ジャンルによって様々だけど、何らかの欲求を満たすものでしょ。衣食住みたいに物理的に必要なものじゃなくて、精神を満たすものがないと人って崩壊するんだと思う。

五十嵐 無音室に監禁された人間が発狂するみたいな感じですね。

村上 大人になるとそれまで生きてきたノウハウから、精神を満たす何らかの方法を考えるけど、赤ん坊って泣く以外に発散できないから、自己表現としての死なのかなっていう気もするね。愛なくしては生きられないっていう。

五十嵐 ゲームでいうところの愛は「面白さ」。そう考えると、人は無駄を愛するっていうのも頷けるんですよね。

村上 要するに無駄じゃないってことだね。

五十嵐 社会にとっては無駄だけど、人としては必要なもの、ていうことですよね。

村上 ゲームっていう響きが生む誤解もあるんだろうね。勉強以上に夢中になっちゃうから教育者から敵視されて当然だし。それでもアクションゲームを作ってる人がゲーミフィケーションを本気で考えたらすごい事が起きるんじゃないかって思うね。60フレームの間で同時多発的に色んなことが起きて、そこまで計算してプレイヤーの感情曲線をデザインするアクションゲームのデザイナーだったら、世の中で起こるありとあらゆる問題に立ち向かうだけの力を発揮できるんじゃないかと思うんだよね。

五十嵐 その通りだと思います。アクションゲームは人を幸せにすると思ってますよ。だから私は好きなのかも知れないですけど。

村上 数年前に「ゼルダの伝説スカイウォードソード」っていうwiiのゲームをやっていて、横で幼稚園の娘が見てたんだけど、父親がwiiリモコンを振り回してる姿を見てたまらなくなったのか「やりたい!」って言いだしたのね。で、リモコンを貸したら、敵を倒すでもなく謎を解くでもなく、ただ同じところをグルグル走り回るわけ。そのあと地面に植えてある大きなカボチャを見つけて、それを持ち上げて近くにいたおばあちゃんの頭に投げつける。するとおばあちゃんが悲鳴を上げる、という一連の動作を見て延々ゲラゲラ笑ってるわけ。正直時間が勿体ないからリモコン返せって思ったんだけどね…。でも、自分がとったアクションに対しておばあちゃんの「悲鳴」という即時フィードバックがあって、反応を示してくれたっていう喜びが次の行動を促すという流れを生んで、もっと難しいことをしてみようと試行錯誤を始めた。この様子を見たときに、無駄の中から精神を豊かにする方法を自分で発見して、能動的に難しい課題を見つけようとしてるんだ、って思った。こういう力をもっと社会で活かせたらなって思うよね。

五十嵐 そのへんの話、これから卒業制作を進めるにあたって復習したいのでまた授業覗きに行ってもいいっすか?

村上 別にいいけど、そもそもワケ分からんものをワケ分かる形にするのがゲームデザインだし、授業を聞くよりもこれまでの経験を活かしてフィールドワークをした方が勉強になると思うよ。
任天堂の宮本茂さんがアスレチックランドで子供の動きを見て飛ぶことの喜びを見出してスーパーマリオを生み出したのと同じように。例えば五十嵐が木漏れ日の中を散歩してたと仮定して、光の部分を歩いてるときの喜びと、影の部分を歩いてるときの喜びがあったとしようよ。この差について何らかの発見をしたときに、この感覚をどうやって人に伝えるか。どんなゲームデザインにしたらここで得た感覚を他人と共有できるのかを考えるのが大事。でもそれを言葉で伝えちゃうと「説明」になるから、操作性だったり間合いだったり、ナラティブで体感させていくのが「表現」になる。

五十嵐 説明は極力排除して体感させたいですね。任天堂のゲームなんかナラティブを追及してるから「やらされてる感」がないままちゃんと自己表現をさせてくれるからどのタイトルも面白いですよね。

村上 アクションゲームの話からあっちこっちへと無駄な話が展開されたけど、結局は全て「自己表現」という結論に至ったし、無駄なものはないという伏線は一応回収されたかな。というわけで、これまでの経験を活かしてこれから卒業制作を頑張って下さい。
では、ありがとうございました。

五十嵐 ありがとうございました。

posted by ムラカミ at 00:45| ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ゼミ通ヒーローズvol.06 「門瀬菫とハッカソンという名のゲームについて語るの巻」

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ゼミ通ヒーローズ Vol.06

門瀬菫と「ハッカソンという名のゲームについて語る」の巻


今回のゼミ通ヒーローズは村上ゼミ新4年生の門瀬菫さんをピックアップ。
ゲーム制作授業のLA(ラーニング・アシスタント)を務めて1年生の指導も行なってきたゲームゼミの元気印。先日関西のゲーム系ゼミを持つ大学との合同ハッカソンを実施し、そこで得た気づきや学びを、ゲーム的発想によって掘り下げていこうと思います。

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ViViVit主催のUI展にて。作品を出品する門瀬さん。


村上 一年生の頃、毎週ゲームの企画書を作って持ってきたりして、ものすごくモチベーションが高い学生だなと思って驚いたけど、そもそもゲームを作りたいという気持ちはどこからきたの?

門瀬 昔からプレゼント選びが好きだったんですけど、それって相手がどんな反応をするかが楽しみだからするものじゃないですか。自分の好きなものをあげるんじゃなくて、相手に何をあげたら一番喜んでくれるかなって考えるのが結構好きだったので、その感覚がゲーム制作の授業で引き出されたのかなと思いますね。

村上 授業のどのあたりで引き出された?

門瀬 一番よく覚えてるのは、先生が「ゲームのキャラクターは記号である」って言った時ですね。この言葉が印象深くて、今までビジュアルとストーリーが面白いからゲームは面白いんだって思ってたんですけど、「あ、違うんだ!」って、ちゃんと面白い仕組みがあるからその上にキャラクターが乗ってるんだって思いました。それで「人が面白いと感じるものを作りたいな」と。

村上 キャラクターデザインという名の学科に入ってきたのに、いきなり「キャラクターは記号だ」って言われて、「は?」ってなったクチだね。

門瀬 そうです。最初ここはゆるキャラとかご当地キャラとかを描く学科なのかと思ってましたもん。それで入学したら全然絵を描かせてもらえない(笑)。でも知らないことを知るっていうのが単純に楽しかったですね。ゲームっていう身近なものなのに、全く違う視点にさせられるし、驚きがたくさんあって面白いです。

村上 全く未知の領域を学ぶんじゃなくて、ゲームっていうあまりにも身近なものの固定概念が覆されるわけだから、衝撃はそこそこ大きいかもね。

門瀬 「面白い」っていう感覚って、今までは素直に「面白い」だけだったんですけど、「なんで面白いのか」って考えたことがなかったんですよ。ゲームって面白くて当たり前だと思ってたので。でもその当たり前を作るためにこんなに大変な思いをするんだって思って、もっと楽しくなってズブズブとハマっていきました。ゲームプランナーは面白いぞっていう村上先生の洗脳がかなり効いてます。あとはグループワークで「脱出ゲーム」を作るって聞いてたので、ここにも魅力を感じてました。

村上 グループワークっていう言葉に嫌悪感を抱く人が多いかと思ってたんだけど、あんなに楽しんでやると思わなくてこっちも驚いたね。

門瀬 グループワークじゃないと自己顕示欲が満たされないんですよ。

村上 グループワークの話が出たので、先日他大学と合同で行われた「ハッカソン」の話を聞いていこうかな。

門瀬 合同でハッカソンをやるのはもう二回目ですね。

村上 そうだね。まずハッカソンの概要について聞かせてくれる?

門瀬 一般論でいえば、エンジニアが集まって、一日という短い時間の中で新しい技術を生み出すっていうものですよね。

村上 エンジニアに限らず、一般の主婦とか学生がそこに加わって、短時間でアイデアをひねり出すようなこともあるね。で、今回は他大学と学生同士だけで行なったと。

門瀬 そうですね。Connectという関西の学生ゲームコンソーシアムがあって、まずは学生同士で何かをやろうってなって、立命館大学のゲームゼミの方から「学生対抗ハッカソンをやろう」とお誘いを受けまして。で、一か所に集まるのは難しいからSkypeを使って互いの現場の緊張感が伝わるようにしてやりました。対抗と言いながら勝敗を決めるようなものではなく創作意欲を刺激し合うような形になってます。今回は立命館大学、和歌山大学、そして京都造形大でネットを通じて実施しました。

村上 そこで作った作品は?

門瀬 京都造形大は人数が多かったので3チームに分けたんですけど、その中で私たちのチームは「ただいまらそん」というアナログゲームを作りました。ハッカソンというからには本来デジタルゲームを作るべきなんですけど、同じチームにプログラミングが出来る人がいなかったので…。今回与えられたお題が「かえる」ということで「蛙、帰る、変える、買える」と色々解釈できるようにひらがなで提示されたんですけど、そこで私たちは「家に帰る」というキーワードから、「一番早く帰宅できた人が勝ち」というだけのルールで、コマを進めたりライバルの邪魔をしたり、また思わぬ出来事が起こったり、というのを楽しみながら場を盛り上げていくゲームを考えました。

村上 見た目は「どこにでも動けるすごろく」みたいになってたね。

門瀬 そうですね。このゲームの面白い点は、「進む」とか「邪魔をする」といったイベントカードを盤面に配置していくんですけど、伏せた状態で配置されてるので、それが良いカードなのか悪いカードなのかを予測しながら進めるドキドキ感でした。

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大詰めを迎えカオスと化したハッカソンでの制作現場。


村上 去年のハッカソンで作ったゲーム「プレゼント大作戦」と基本構造が似てるのかな。

門瀬 そう、同じなんです。「プレゼント大作戦」の時は、お題が「あげる」で、「プレゼントをあげる」っていうテーマにしました。要は1点から5点までの点数がついたプレゼントカードがあって、たくさん集めて合計点の高かった人が勝ち、という単純なルールです。毎ターンごとに手元のプレゼントカードを他人にあげたり、自分のものにすることもできるんです。そしてそのプレゼントには宝石みたいな「プラスの物」と、石ころみたいな「マイナスの物」が混在してるんですね。そのプレゼントを表を向けて置いたり伏せて置いたりして、果たして自分の手元に集まったプレゼントの点数は何点なんだろう?という遊び方をします。

村上 さっき話してた「基本構造が似てる」部分って、その「プレゼント大作戦」と今回の「ただいまらそん」は両方とも自分の枠があって、まずはターンごとにアイテムを配置していくという基本ルーチンがあるということ。そのアイテムにはプラスのもの、つまり進むものとマイナスのもの、戻るものが混在していて、それがどちらか分からないというドキドキが得られるってことね。

門瀬 それがランダムではなくてプレイヤーが任意に仕掛けるので、それを読み解くというのが共通する面白さですね。アイテムの中身を知ることもできるんですけど、それによって貴重な1ターンを消費してしまうという駆け引きもあります。危険を冒して近道をするか、ターンを消費してでも安全に遠回りをするかというトレードオフがポイントです。

村上 途中までは淡々とアイテムを配置していくという、言い方悪いけど作業的なルーチンが続くよね。でも途中から徐々に邪魔の要素が加わってきて、それまでコツコツと蓄積してきた要素が一気にひっくり返される。大富豪でいうところの革命にあたる要素だと思うけど、常に革命が起こることを予測しながら進めなければいけない緊張感があるね。

門瀬 相手の行動の裏の裏まで読まなきゃいけないので、相手の表情を読み取る力も求められますね。

村上 対戦相手によっても大きく戦況が変わるような奥の深いゲームになってるけど、あれをゼロから考えてルールを固めて、絵を描いてレベルデザインを含めてたったの8時間でゲームとして遊べる形に完成させるというあの凄まじい集中力(笑)!

門瀬 確かにものすごい現場になってましたね(笑)。


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完成作品をSkypeで他大学にプレゼンする門瀬さん


村上 その場で組んだメンバーだからほぼ初対面同士でもあるよね。しかもその場でお題が発表されるから何も準備ができない状態で。それでどうやってチームをまとめて、全員のモチベーションを保てたのかな。グループワークという名のゲーム性について考えてみようか。

門瀬 ハッカソンって、不思議なことに途中で疲れないんですよ。朝から晩までアドレナリンがものすごく出てる状態なのでただただ楽しくて。でも終わった瞬間にとんでもない疲れが一気にきますね。

村上 大学の授業って80分とか90分とかあって、30分間同じリズムの語り口調で講義を受けたらかなり辛いよね。「ゼルダの伝説」で遊ぶときは同じ姿勢を保ったまま3〜4時間周りが見えないくらい画面に食い入る状態になるけど、ハッカソンもこれに近いのかな。てことはハッカソンってゲームなんじゃないかな。なんであんなにのめり込むんだろうね?

門瀬 時間制限がある制作って、かなり追い詰められるけど楽しいんですよね。例えばスーパーマリオで後ろから壁が迫ってくるようなステージがあるじゃないですか。あれに対してプレイヤーってあまり不快感を覚えなくて逆に面白い要素として捉えますけど、これに近いんですかね。

村上 強制スクロールのゲームと同じ構造でありながら強制感がない?まあ、実際に死ぬわけじゃないしね。

門瀬 後ろから迫ってくるから逃げるけど、でもそれが面白いと感じられるゲームデザインになってるじゃないですか。死にたくないから時間を短縮するためにどのルートをとるかっていうのを瞬間的に判断しながら動きますよね。瞬間的にすごいアドレナリンが出るので、その感覚が楽しい追い詰められ感になって、ハッカソンにも同じことが言えるのかなと思います。短い時間でやるので、とにかく計画を立てるんですよ。私がグループワークをするときに意識してるのは、「やらされる」っていう強制感を与えないようにする工夫です。

村上 どうやって?

門瀬 「一人ずつ案を出していこうか」というのもアリなんですけど、今回だったら「かえる」っていうところから一人ずつアイデアを出させるよりは、一つの案を紙の真ん中に書いて、それを外側に広げていくやり方の方が良いんじゃないかと思って。
「プレゼント大作戦」の時だったら、プレゼントの中身が見えてる方がもらった時に嬉しいのか、見えない方が良いのか、そういう疑問を一つ投げかけて、それに対してグループメンバーがその時の感情とか状況についてディスカッションしてどんどんイメージを広げていったんです。だから一人の話から広げる形の方が、議論じゃなくて対話をしてる感じで盛り上がっていくので、それに伴って皆のテンションも上がっていくんですよね。一旦テンションが上がるとアイデアが連鎖反応を起こしていくんです。それが少し引いてきたと思ったら、その段階でのアイデアを一旦まとめて、そこから次のステップの対話に入っていくということを繰り返して企画を立てていきました。

村上 それによって普段あまり話さない人も話すようになる?

門瀬 さすがに初対面となると初めはなかなか出ないです。私のチームは5人で、1年生1人、2年生3人、そして3年生の私を入れて5人です。最初は冷え切った状態から始まりましたね。

村上 でも最終的にはあれだけヒートアップしてたね。

門瀬 いじられたら面白いんだけど自分から一歩を踏み出せない人っていうのがいるので、そういう人を最初に見つけていじるんです。その子が話し始めると周りに反響してどんどん話すようになってくるんですよ。身内みたいな空気で二人で盛り上がるっていうのは絶対ダメなんですけど、まず私が2年生に冗談を言って笑わせたら、他の2年生が絡んできて、そうなると話したことがない1年生も入り込める空気ができるんですね。そこで「どう思う?」って話を振ると、それだけでしっかり答えが返ってきます。やっぱりグループワークでは空気ってすごく大事だなって思いますね。発想力が凄い人っていうのもいるのかも知れないですけど、グループワークするときって、結局全員が育ってきた環境が違うので価値観も違うっていうのが見えてそれが面白いじゃないですか。だから全員が話せるような空気作りができたら絶対にどこからか面白いアイデアが出てくると思います。

村上 チームリーダーになったからそれをしなきゃいけないと思った?

門瀬 それはないです。誰かのため、とかいう綺麗な話ではなく、単に私がそうじゃないと生きにくいからです。強制して「お前、アイデア出せよ」っていうのと、アイスブレイクとして「今からマジカルバナナやろう!」て言うんだったら出てくる案は同じだったとしても捉え方が変わると思うんですよ。マジカルバナナっていうコンテンツを使う事で、楽しんでゲームに参加してるっていう状態でアイデアを広げていけるっていうか。ゲームとかゲーミフィケーションの持つあそびの力によるものが大きいと思いますね。「ゲームって楽しい」っていう謎の固定概念がありますけど。親が宿題をやれと言っても子供は動かないって、よく先生言ってるじゃないですか。

村上 なんだか村上イズムが浸透してきたな(笑)。

門瀬 ですね。単純なことなんですけど、何点取ったらご褒美あげるって言われたら子供ってすごく食いつくと思うんですよ。でもそれって、つまらない事をやらされてるっていう強制感を感じさせないように親が必死で隠して餌で釣ってるだけなんですよね。でも人間って嬉しい形で餌を置かれると食いつきたくなるじゃないですか。逆に背中を押されるとやる気がなくなるんですよね。なのでグループワークでゲームの要素を使うってなったときに、とにかく「聴く」っていうのが一番大事なんだと思います。聴いて話を引き出していくっていうか、あー、何言ってるんだかワケわからなくなってきました(笑)。

村上 要するに聞き手に傾聴の姿勢があるから、誰かがアクションを起こしたときにすぐリアクションがとれて、それがゲームていうところの「即時フィードバック」や「称賛演出」につながって、話し手は「聞いていただけた」っていう喜びが得られるから頑張ろうという気になる。そこで褒められた日にはもう舞い上がっちゃうよね。ってことね。

門瀬 そう、それ!それ言いたかったんです(笑)!

村上 で、さっきの話で一つ気になったんだけど、「前に餌を置かれると燃える」でも「背中を押されると嫌がる」って話。脱出ゲームを作る時は実はこれ逆なんだよね。脱出した先に何があるかはどうでもよくて、後ろから「時間」というものが迫ってきてるから、そのネガティブな要素がモチベーションにつながって脱出しようとする。つまり中が嫌だから外に出る。でも今の話だと、目の前に餌があるからそこに行きたくなる。この時に発せられるエネルギーって全然違うように感じるね。

門瀬 脱出ゲームの場合は、ゲームである以上「脱出しなければならない」っていう使命感はあるんですけど、答えを自分で発見した感覚があるから面白いんですかね。

村上 結局ゲームだから答えは用意されていて、自分で解決したかのように演出されてるだけなんだけどね。さっきの、餌で子供のやる気にさせる親と同じで。

門瀬 そうなんです。作り手の掌で転がされてるんです。でも転がされてるって感じないように設計されてるからあれは面白いんだと思います。あたかも自分が凄いことを思いついたって錯覚させられるんですよ。

村上 昔から、「ドラゴンクエスト」は自由度が高くて自分でストーリーを作ってるように感じて楽しいのに対して、他のRPGは一本道のストーリーをなぞるだけだからゲームとは言えないよね、みたいに批判された時代があったけど。先日もゼミ通ヒーローズの中井涼の対談の中で「パワポを使った時点で授業は一方通行になるから聞く気をなくす」みたいなことを言われて…。

門瀬 それと同じだと思います。自己統制感があるからゲームが面白くなるんだと思います。

村上 答えはあるのに自分で発見したように見せる演出がゲームを面白くする一方で、ハッカソンの場合はそれこそ答えはない。だから面白いのかな。

門瀬 確かに何でもアリなんですけど、そこに時間制限があるからそれがゲーム性となってハッカソンっていうイベントが面白くなってるのかなって思います。やっぱり何かを捻り出さなきゃいけないんですよ。「出来ませんでした」はダメなんで。

村上 これがプロの開発現場なら「出来ませんでした」はリアルに致命傷になるけど、ハッカソンの場合は出来なくても何の罰則もない。なのにどうして「出来ませんでした、はダメ」になると思う?

門瀬 上からの強制力ではなくて、クリエーターとしての自分との闘いなんですかね。チーム対抗って言ってますけど実はそこはどうでもよくて、時間内にゲームを完成させるっていうゲームに打ち勝つことができるかっていうことなんだと思います。

村上 やっぱりゲームなんだ(笑)。ルールは「8時間でゲームを完成させる」なんだけど、それが「作用」なのだとしたら「反作用」って何?

門瀬 テンションですかね。私が高いテンションを保てても周りがついてこれるかっていう問題があります。ハッカソンそのものがゲームという捉え方ができるって言いましたけど、私にとっては、ハッカソンの中でのグループワークがゲーム作りなんですよ。えーと、ややこしいですね。ゲームを作るっていうんじゃなくて、グループワークという名のゲームを作って私がグループメンバーを躍らせるっていうシミュレーションゲームを楽しんでるって感じなんです。

村上 ややこしいけどよくわかる。キミも成長したな(笑)。

門瀬 とにかくみんなを気持ち良くさせるんですよ。気付かないうちにちゃんとやれるようにレールを敷くっていう感覚ですね。そもそもゲームって義務がないからつまんないと思ったら途中でやめるじゃないですか。ハッカソンもそれと同じだと思ってるんですけど、それは私が許せないので。でも私一人ではゲームは作れないから、皆を動かすんです。義務感はないけど途中離脱したくないような状況づくりをするというゲームですね。

村上 スタッフは駒なんだ(笑)。

門瀬 いや、…言い方悪いですけど、…えーと、そうです(笑)!

村上 マイルドな言い方すると、サッカー選手と監督みたいな感じね。ハッカソンの中で二重にゲームが行なわれているって感じか。

門瀬 グループワークで話し合いをしてる時に私が何か面白いアイデアを思い付いたとして、それをぶつけるのってあまり得意じゃないんです。なので皆が分からないように私の意見に近づくように誘導していくんですよ。これが楽しいから私はグループワークが好きなんです。リーダーっていうと、RPGなら万能で皆を導く勇者タイプのイメージがあるんですけど、私はそうではなくて、列の一番後ろにいるんですけど道は変えさせねーぞと(笑)。でもそれはそれでwin winだと思うんですよね。とにかく気持ちよく冒険はしてほしいんです。それは私があまり発想が得意じゃないからなんだと思います。

村上 後輩たちからすると門瀬の存在って「発想力豊かな先輩」って位置付けられてるよね。

門瀬 いや、それは違いますね。今回のハッカソンでは私はほとんど意見は言わなかったですし。

村上 でもそれって良いアクティブラーニングの特徴でもあるんだけど、「教え込む」じゃなくて「学びたくなる状況を演出する」ができたってことじゃない?

門瀬 一歩引いて全体を見る方が面白いんですよね。芸大に入学してよく分かりました。元々兄(キャラデ卒)って私にとって絶対的な存在で、なんというか天才肌なんですよね。
それに対して私は凡人なんですよ。それは私の思い込みじゃなくて、自分を客観的に分析した結果で。なので発想力があるっていうよりは、そう見せる「フリ」がうまいんだと思います。周りの人のエネルギーを吸い取って、発想力という名の殻を作ってるんですよ。

村上 やっぱり演出って大事だね。

門瀬 そうですね。人の力を使ってそれを増幅させて、発想力が高いキャラのように見せるんです。

村上 極真空手よりも合気道に近い感じかな。相手に攻撃させて受けて倒す、みたいな。

門瀬 まさにそんな感じです(笑)。で、今回のハッカソンで一つすごく嬉しかったことがあるんですよ。同じチームにいた1年生の後輩が、別のチームの子に「うちのチームはどんどん進んでいってすごく楽しいよ」って伝えてたらしいんですけど、それが一番嬉しかったですね。

村上 それは門瀬個人が褒められたということじゃなくて、チーム全体が評価されたってこと?

門瀬 いや、ただ単に私の思い通りにいったっていう感覚です。あ、楽しんでもらえたんだ!っていうことが嬉しかったです。

村上 ゲームってプレゼントだと思っていて、人の驚きをデザインする仕事だから、思惑通りにいくと嬉しいよね。

門瀬 落とし穴を掘って、そこに誰かが落ちた瞬間の気持ち良さですかね。落とし穴が見えないように周りをデコレーションしていって、気をそらして落とすみたいな。

村上 授業の頭でいつも言ってるけど、ゲームを作る人って、いたずら好きとか、良い意味で性格が悪い人が向いてるかなって。でも、驚かすっていう欲求が強すぎてそれが仇になることもあるね。自分が外で見てすごく感動した映画があって、これを嫁さんにも見せたいからあとでDVD買って一緒に観ようと思ったことがあって。同じ場面で驚いて、同じ場面で感動して泣くっていうことを共有したいんだけど、見せ場が来て、嫁さんの反応をチラっと見たら映画観ずにめっちゃスマホ触ってたりして、いやいや、ここ!ここっ!!てなるよね。この喜びを共有できない悲しさよ。

門瀬 めっちゃわかります。でもそれが面白くないですか?

村上 やだ。

門瀬 この人は全然違うんだ!って分かったらそれが新しい発見になるし。もちろんその瞬間は否定されたみたいで悲しくはなりますけどね。

村上 いや、だってさ、この映画を見せるためにだよ、時間を調整して、御膳立てして、テレビの前まで誘導して、さあ見るぞって時によ、スマホかよ、ツイッターかよ、てなるよね。いや分かってるよ、どうせ俺の演出力不足ですよ。

門瀬 大人げないです。

村上 でも不思議な事に、自分が開発して商品化されたゲームがネットで叩かれても全然平気なんだね。無償でやるか有償でやるかの違いなのかな。無償のものってそれなりのテンションで準備するでしょ。見返りがないから愛情で勝負っていうか。でも商品開発の場合、ネットで悪口を書く人って「ちゃんとお金を払って買ってくれてんじゃん!」て思う。しかもエンディングまで見た上で悪口言ってるから、こちらとしてはありがたやありがたやってなる。俺、構ってちゃんだから悪口言われると燃える。

門瀬 (爆笑)

村上 授業中に学生に寝られたら少しヘコむかな(苦笑)。自分が感動して体得した内容を学生のみんなにも共有したいっていう気持ちで授業やってるから、「よくも寝やがったな」ていう怒りではなくて、嫁のスマホ状態で「この喜びを一緒に味わえないのかぁっ!」って寂しくなる(苦笑)。帰宅したらその日の晩は膝抱えて過ごす(笑)。

門瀬 …。

村上 さあ、もう何の話だかワケがわからなくなってきたね。今回はハッカソンを通して、人の気持ちを誘導するデザインというか、そのデザインそのものが実はゲームであるという話を門瀬さんにしていただきました。では今日はありがとうございました。

門瀬 はい、ありがとうございました。


posted by ムラカミ at 00:20| ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ゼミ通ヒーローズvol.05 「中井涼と学びという名のゲームについて語るの巻」

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ゼミ通ヒーローズ Vol.05

中井涼と「学びという名のゲーム」について語るの巻


今回のゼミ通ヒーローズは、村上ゼミ3年生の中井涼さん(金沢辰巳丘高等学校出身)をピックアップ。ゲーム開発会社Happy Elementsの合同授業やゼミ内プロジェクトの記事でもたびたび紹介されているゲームゼミの名物キャラですが、今回は彼女の「学び」によってモチベーションを高める秘訣やあそびの力で日々を楽しくする方法についてお伺いしようと思います。

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ハッカソンにて、グループでアナログゲームを制作する中井さん。

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脱出ゲームで石鍋先生を壁に拘束する中井さん。

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台湾漫画博覧会にてステージ上でイラスト制作を実演する中井さん


村上 中井は色々な活動をしていて、とにかくアグレッシブなイメージがあるけど、具体的にはどんなことをやってる?

中井 ゲームゼミ以外の活動でいうと、LIMITSのオマージュとなるMINUTEっていうペイントバトルの監督をやらせてもらってます。1年生の時は「見世物小屋プロジェクト(学祭で開催しているお化け屋敷の制作)」「京造イルミネーションプロジェクト」をやってきて、2年生の時は「見世物小屋プロジェクト」のLA(ラーニング・アシスタント)もやらせていただきました。あと、台湾研修とかオープンキャンパスのスタッフとかハッカソンとか、先日はイラストのグループ展とか色々やってましたね。

村上 それだけの活動をしていながら一切モチベーションが下がらないのが不思議なので、今回はその秘訣を教えてもらおうかと。

中井 はい、高校時代まではとにかくグループワークが苦手で、それを克服するためにプロジェクトの参加を決めました。ここは学費が高いので(笑)、やれることは全部やってしまおうと思って。やっぱり1年生だったので最初は何でも楽しいじゃないですか。学科で習うことも全部楽しくて、楽しいという気持ちがあるからやってこれたし、私は新しい環境というのが好きで、ていうかずっとその場にいられない人なんで、新しい場所に行って新しいものを得てるという感覚があるから色々やっていけるんだと思います。

村上 楽しい=モチベーション、てことね。じゃあ「楽しい」とはどういうこと?

中井 やってる内容というよりは人との関りが楽しいんだと思うんですよ。結局授業だって先生とか周りの学生と関わっていきますよね。プロジェクトに関しても、仲間がいなきゃ絶対にやれないものなので、その仲間と連絡をとりあって協力して何かを作るというのが私的には楽しかったのかなと思います。

村上 寂しいんじゃないのか?(笑)

中井 そうかも知れないです(笑)。一人の時間も大切で、一人にもなりたいんですけど、…やっぱり寂しいんですかね。でも、私の性格的に誰かとの関りを長く続けることもできないんですよ。すぐ自分から断ち切っちゃうんで。今一緒にいて楽しければそれでいいかなと。

村上 ドライな関係やな…。お前は用済みだ、的な?

中井 いや、そんなんじゃないですよ(笑)。自分から連絡を取るっていうのが凄く苦手で、特に仲が良くて好きな相手ほど連絡がとりにくいんですよ。自分が「どうせ私なんて」って思ってるから、相手も同じように考えてるのかなと思うと別に連絡とらなくてもいいかなって。

村上 新しいものを求めるからそうなるのかな。同じ人と同じ事をするよりも他の人と違う事をする方が有意義とか。自分もそうだけど、貧乏性なのかも。生きてる時間が限られてるのに同じ人とだけ関わると時間が勿体ないみたいな。

中井 そう、その感覚です。

村上 その時は楽しいけど、40歳過ぎて友達が少ないのはなかなか寂しいぞ(笑)。いざ立ち止まって振り返った時に「これで良かったのかな」って思うし。

中井 でも私がそういう考えだから相手も同じように考えてるだろうって思っちゃうんですよね。だったら相手にとっても私は要らんくね?って思うんです。

村上 親友は?

中井 いないです。

村上 即答(笑)。

中井 私は「聞く専」なので、人それぞれが持ってる色んなアイデアとか考え方を聞いて、それを自分のものとして吸収したいっていう欲求があります。

村上 知識欲?ゲーム要素でもある「欠落を埋めたがる欲求」が強いのかな。やり込み要素満載の人生やな。

中井 何でも知っておけば損はないじゃないですか。自分がどれだけ考えても出てこないアイデアをもらうみたいな感じなんで、それが私はすごく楽しいんですよ。自分から話すと、アイデアを他人に渡すことになっちゃうんでそれはヤだなと。

村上 わがままな奴やな(笑)。でもグループディスカッションの時は結構発言するよね。

中井 それはグループを良い方向に導かなきゃいけないから、そういう時はどんどん発言しますよ。自分がいるチームに対してアイデアを出さないと自分にもペナルティが架せられるから。

村上 知識欲と独占欲が強いのはよく分かったけど、知識をコンプリートしたらどうする?生きてる上でコンプリートなんてあり得ないことだけど…。

中井 コンプリートすればするほど大きな作品が作れるんじゃないですかね。

村上 最終アウトプットのイメージはある?

中井 ゲームとは全然違うんですけど、60代とか70代になって、お母さんと妹と一緒にお店を開きたいんですよ。そこで自分のブランド…というか自分を表現する何かの媒体として作品や商品を売りたいんです。その時に、それまで蓄えた知識とか技術を一気に使って吐き出したいという想いはあります。何でもやりたいんで一つの枠に収まりたくないんです。枠に入ると一年もたたずに飽きて辞めちゃいそうです。見世物小屋のプロジェクトをやったからお化け屋敷を運営する会社に就職するとか、そんな風には考えたくないですね。

村上 継続力があるというわけではないんだね。継続せず毎回新しいことをするからモチベーションを維持するというパターンか。自分から何か新しいことを発信することが楽しいんだと思うけど、逆に「新しいこと」を義務付けられたり強制されたらどう感じる?

中井 義務の定義を説明してもらって、それで納得できればやると思いますけど、相手が求めるものが自分の価値観と合わなければお断りします。やらされてるって感じたら続かないんで…。

村上 強制ではなくて誘導ならどう?やれと言われるんじゃなくて、やりたくなるような状況を作られて、いつの間にか相手の掌で転がされてるとか。所謂ゲーミフィケーションなんだけど。

中井 掌で転がされようと、一度は「やりたい」って気持ちになるわけだから、それは良いと思います。

村上 じゃあ、子供は宿題をやれと言ってもなかなかやらないけど、ゲームは隠れてでもしようとするよね。その違いは何だと思う?

中井 宿題の場合は「やれ」って言われるから嫌になるんじゃないですかね。ていうか「宿題」っていう名前とかその出し方に問題があるんじゃないですか?私は答えのある問題を解くんじゃなくて、まだ誰も得てない「知識」が欲しいんですよ。だから人と話をして、その人にしかない考え方を吸収して自分なりの見方を養っていくっていうのが好きなんです。学校で「教わること」は他の皆も持ってるってことなので、私は違うことを「学びたい」って思います。

村上 ちなみに我々は第二次ベビーブームと言われる世代で、同級生の人数が多すぎるから何をするにも全て競争だったのね。勝たないと得られないから「ベスト1」が美徳とされてた時代。その後の世代では「オンリー1」っていう言い方が流行ったよね。たまに自己中的な代名詞として揶揄されたけど…。で、これからのソサエティ5.0の時代に向けて必要なのはベスト1でもオンリー1でもなく、「ファースト1」だと思うのね。所謂イノベーションってやつ。

中井 その考え方すごく好きです。競争じゃなくて新しいことしたいです。学ぶのは好きなんですけど勉強めっちゃ嫌いなんで(笑)。

村上 教員の教え方次第かな。「教える」のではなくて「学ばせる」が重要なわけで。「教える」だと学生からしたら全然面白くないしモチベーションが維持できない。学生が自分で発見するか、自分で発見したかのように感じさせて驚きを与える演出が大事だと思うんだよね。

中井 ほんとそうですよね。中学生の頃とか教え込むタイプの先生ばかりで勉強がめっちゃ嫌いになって、結局先生のことを「知識をくれる道具」としか見なくなりました。

村上 Googleかよ(笑)。

中井 そうなんですよ(笑)。「教え込まれた」と感じた授業の内容はほとんど頭に入ってないです。

村上 テストに向けて丸暗記しただけだもんね。知ったことを発信して、それを受けた人からリアクションがあって、それを見て初めて記憶というか心に定着する。やっぱりボールを投げたら打ってほしいもんね。

中井 ゲーム特有の「即時フィードバック」の要素が重要ですね。

村上 以前、学びとゲームの研究の過程で、ゲーミフィケーションを使って図書館利用者を増やすことができるかっていう実験をしたよね。活字離れが懸念されるからって「本を読め」って言っても誰も本を読まない。よほど読みたい本があれば別なんだろうけど。

中井 空間から入ったらいいと思いますね。そもそも図書館っていう空間がしんどいんだと思うんですよ。静かにしなきゃいけないとか飲食禁止とか。「ハリーポッター」に出てくるホグワーツの図書館って、皆と話しながら本を読む場面が多くないですか?

村上 分かるけど、気が散らない?

中井 でも本棚で仕切られてたりするじゃないですか。学校の図書館みたいに本棚と机の領域を分けて固めるんじゃなくて、色んなところに机があれば個人のスペースが確立できるし、その一個一個の中なら多少話をしても構わないってなりません?図書館って「知識を得る場所」なのだとしたら、それを吐き出すことも同時に出来た方が良いと思うんですよ。ゲームの理屈から言うと、吐き出すことによって知識が深まりますよね。だから図書館でミーティングをした方が良いと思うんですよ。

村上 確かに、さっきまでの文脈でいくと、本を読んで頭の空白を埋めて、情報が満たされたらそれを吐き出して第三者に伝えて、リアクションを得て初めて自分の記憶に定着するっていう即時フィードバックの反復ね。それは効果的かも知れない。

中井 本って、知識を蓄えるだけの道具じゃなくて対話の道具であるべきだと思うんですよ。友達同士でページめくって「わー、これすごーい!」とか言い合ったら絶対記憶に残りますよね。蓄えるだけの道具だったら図書館じゃなくてGoogleで良いと思います。

村上 昔ながらの考え方かもしれないけど、図書館でのアウトプットって、静かにレポートを書くとか、そういうことなんだと思うのね。提出されたレポートに対する先生のリアクションが来るのは数週間後。それは即時フィードバックとは言えない。中井の理屈はコミュニケーションというゲームがあることによって学びが効果的になるってことね。

中井 単に私がコミュニケーション好きなんで(笑)。あ…、これもしかして図書館の悪口みたいになっちゃってます?(笑)

村上 いや、愚痴ならスルーするけど、前向きな問題提起だから全然良いよ。コトを荒立てた方が前に進むから。ところで、中井ってゲームはやらないの?

中井 子供の頃にポケモンやってましたね。そこでハマりましたけど、最近は全然やってないです。ポケモンGOくらい。

村上 やっぱりポケモンかよ(笑)。なんで好きなの?

中井 人間とモンスターっていう異種間のコミュニケーションに惹かれるんだと思います。
自分とは違う者と共存して一緒に戦うとか。人と人とのつながりというよりは、異種である事が好きです。アナログゲームの場合だと、面と向かって人同士の関わりで遊ぶことになりますけど、対面でゲームをするくらいなら「会話しましょう」ってなりますね。

村上 去年中井のリクエストで屋外で「缶蹴り」をやりながらゲーム分析をしたけど、あれもゲームというよりもコミュニケーションを渇望してたから?

中井 完全にそうですね。皆ともっと仲良くなりたかったし、「体育館使って走り回ってるけどあの人たちは一体何をやってるんだ?」って周りの友達に思われたかったです(笑)。

村上 ゲームゼミって、パソコンを使ってプログラミングしたり美少女キャラの絵を描いたりっていうイメージがあるのかな。

中井 そうだと思いますよ。せっかくあそびというものを研究するなら、幅広くやって、「うちのゼミこんなことやったよ」ってみんなに自慢したいです。

村上 ガイダンスでも「ゲームの作り方を教えます」とは一言も言ってないんだけど、ゲームって名前がついてるからどうしても誤解されるね。で、さっき好きなゲームについて聞いたけど、今度は好きな授業ってある?その授業の中のゲーム性について分析してみようか。

中井 太木先生(グラフィックデザインの先生)の授業は全部好きですよ。実践的な技術や知識も得られてフィードバックも速くて、頑張れば頑張るほどリアクションも変わってくるので。頑張らないと容赦なくボコられますけど。もし頑張ったのにリアクションが薄いと、なんでダメだったのかを必死で考えますね。自分だけ褒めてほしいから頑張るっていう部分もあります。

村上 太木先生を独り占めしたいのね。あとゲームの7要素にある「称賛演出」の渇望かも知れないね。

中井 太木先生に関しては「強い女性」っていう印象があるんですよ。全然ブレないし。私たちの世代って強い女性に憧れるんです。女性社会に変わりつつある中で、あんな強い人をみるとちゃんと頑張りたくなるんですね。高校の時の先生もめちゃくちゃ厳しくて怖かったんですけど、言い過ぎて生徒が泣いたら慌てて優しくフォローしたりとか。もうブレッブレなんですよ(笑)。

村上 となると、知識欲、独占欲と色々出てきたけど、どういう感覚なんだろう。太木先生の存在は、中井にとっては師匠?いやラスボスなのかな?

中井 ラスボス(笑)!そうではないですね。太木先生の知識や考え方が欲しいんですよ。

村上 なるほど、じゃあポケモンだ。ドラクエだったら敵を見つけたらただ倒すけど、ポケモンは敵を弱らせてから捕まえるよね。つまり太木先生はミュウツー(笑)なんだ。
1ターン毎にボコボコにやられるけど、技術が欲しいから耐えて耐えて、モンスターボール投げて太木先生ゲットだぜ、みたいな。倒したいわけではなくて後から利用できる技術が欲しいという感じ。

中井 まさにそうですね。だから強そうな人ほどお近づきになりたいです(笑)。

村上 あ、そうそう。中井のことで一つ気になってることがあって。後期の頭くらいだったかな?ゲームの授業で講義が三週くらい続いたときに、「先生の言葉が聞きたいです」て言われたのがすごく印象的だったというかショックだったというか。そこの真意を聞かせてくれる?

中井 一般的な知識がほしいわけじゃなくて、先生だからこそ話せることとか、先生が実際に感じたこととか、「この人から学んだから価値がある」って感じたいんですよ。

村上 でもあの時の講義の内容は、自分の中にあるものを吐き出したもののはずなんだけど、結局話し方とか見せ方の問題だったのかな。個人的に講義ってあまり好きじゃなくて(笑)、機械的な情報伝達になりがちで体温が伝わりにくいから。Power Pointを使った時点で一般論を淡々と語られてるように感じるのかもしれないね。で、結果「つまらない授業」って思われるという。

中井 だと思います。講義…はもうなくていいです(笑)。授業をしないでください(笑)。
見世物小屋のプロジェクトのときにもそういうのがあって、ストーリーを作る時に、「人間の怖さてっいうのが最終的に重要なんだよ」って先生は教えたかったんだと思うんです。でもそれをスライドとかパワポで見せちゃうと「教える」ことになっちゃってダメじゃないですか。じゃあどうしようってなった時に、貴船神社にみんなで行ってみようってなったんですよ。呪いの藁人形を使った丑の刻参りがありますよね。その時はお化け屋敷感覚で怖がってたんです。

村上 リアルに感情が出てくるのはフィールドワークの醍醐味だわな。

中井 そこで感想をまとめて発表したんです。そしたらほとんどの人が「この絵馬が怖くて」みたいなことを言うんです。でも最終的には丑の刻参りをしてる「人」が怖いっていう結論が出て、「そうかー、みんな人が怖いんだね」って誘導されて、なるほど!てなったんです。実際に怖いと思って自分たちなりに発表までして、その発表の内容に対して的確に誘導されたからインパクト絶大で完璧に心に突き刺さりました。

村上 自分でリサーチした情報に新たな価値を上乗せされたことで、「教わる」じゃなくて「学ぶ」になったわけね。もしそこでパワポを使って「人=怖い」みたいなスライドを見せられた日にゃ…

中井 あーもう最悪ですね(笑)。なんの学びもないし授業がつまらないと感じると思います。怖さの理屈を教え込まれるんじゃなくて、体験して考えて発表までして、一回考えてるっていう経験があるから確実に理解できるんですよね。

村上 ゲームの基本=学びの基本っていうゼミの考え方が少しずつ浸透してるみたいで安心した。「あそびの力で社会を豊かにしよう」ってカッコ良いよね(笑)。ゲームゼミが狙ってるのはそのポジションなんだけど。ゲーム作りの技術を教えるんだったら専門学校さんの方が良いだろうし。基本姿勢だけ教えておけばあとはみんな勝手に野間先生の授業で技術を習得して勝手に面白いゲームを作ってくれるのでこちらとしてはとてもラクでいいなと(笑)。
というわけで、今回はゲームはゲームでも、学びの中にあるゲーム性という点について掘り下げて話をしてみました。学生視点の話が入ると机上の空論ではなくリアリティがあってこちらも良い勉強になります。
では今日はありがとうございました。

中井 ありがとうございました。


posted by ムラカミ at 00:08| ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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